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大阪高等裁判所 昭和59年(う)938号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人中村稔を禁錮二年六月に、被告人桑原二郎、同髙木眞彦をそれぞれ禁錮一年六月に各処する。

この裁判の確定した日から、被告人中村稔に対し三年間、被告人桑原二郎、同髙木眞彦に対し二年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用中、原審証人岡いつ子、同福田八代枝に支給した分は被告人中村稔の負担とし、その余の訴訟費用はその三分の一ずつを各被告人の負担とする。

理由

本件各控訴の趣意は、大阪地方検察庁検察官検事田中豊作成の控訴趣意書及び大阪高等検察庁検察官検事山中朗弘作成の控訴趣意書訂正申立書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人前堀政幸、同大槻龍馬、同前堀克彦、同村田敏行連名作成の答弁書記載のとおりであるから、これを引用する。

第一控訴趣意に対する判断

一論 旨

原判決は、「被告人中村稔は、物品の販売及び建物の賃貸借業等を営む日本ドリーム観光株式会社の千日デパート管理部管理課長として、同社が直営し、あるいは賃貸して営業している大阪市南区難波新地三番町一番地所在の千日デパートビル(鉄骨鉄筋コンクリート造り、地下一階、地上七階、塔屋三階建、床面積合計二六、二二七・〇〇六平方メートル)について、その維持・管理を統括する同管理部次長宮田聞五を補佐するとともに消防法令に基づく防火管理者として同ビル関係の防火上必要な構造及び設備の維持・管理等を行うなどの業務に従事していたもの、被告人桑原二郎は、同ビル七階(床面積一、七八〇平方メートル)を、右日本ドリーム観光株式会社から賃借して風俗営業キャバレー「プレイタウン」を営む千土地観光株式会社の代表取締役として、右「プレイタウン」の経営・管理を統括し、消防法令に基づく防火管理者その他部下従業員を指揮監督して、消防計画の作成、当該消防計画による通報及び避難訓練の実施、避難上必要な設備の維持・管理等を行うなどの業務に従事していたもの、被告人髙木眞彦は、「プレイタウン」の支配人として、被告人桑原を補佐するとともに、防火管理者として、前同様の消防計画及び避難等に関する業務に従事していたものであるところ、昭和四七年五月一三日午後一〇時二五分ころ、同ビル三階(床面積三、六六五平方メートル)の大半を日本ドリーム観光株式会社から賃借使用している株式会社ニチイ千日前店の衣料品・寝具等売場において、株式会社大村電機商会の作業員ら六名が右ニチイから請け負つた電気配線増設工事を行つていた際、東寄りの寝具売場付近から出火し、同階並びに二階(床面積三、七一三・六〇五平方メートル)及び四階(床面積三、五二〇平方メートル)をほぼ全焼するに至つたのであるが、

第一  被告人中村及び宮田としては、同ビルが、前記のように直営のあるいは賃貸の店舗で雑多に構成されており、三階も右ニチイのほか株式会社マルハン等四店舗が雑居するいわゆる複合ビルで、六階以下の各売場は午後九時に閉店し、その後は各売場の責任者等は全く不在であり、七階の前記「プレイタウン」だけが午後一一時まで営業しているという特異な状況にあり、しかも、火災の拡大を防止するため、六階以下の各売場には、建築基準法令に基づき、床面積一、五〇〇平方メートル以内ごとに防火区画シャッターが、それぞれ設置されていたのであるから、平素から右シャッターを点検・整備した上、六階以下各売場の閉店時には、保安係員をして、これらシャッターを完全に閉鎖させ、閉店後前記のように工事等を行わせるような場合でも、工事に最少限必要な部分のシャッターだけを開けさせ、保安係員を立ち会わせるなどして、何どき火災が発生しても、直ちにこれを閉鎖できる措置を講じ、もつて、火災の拡大による煙が営業中の「プレイタウン」店内に多量に侵入するのを未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、いずれもこれを怠り、右シャッターの点検・整備を行わず、かつ、同シャッターを全く閉鎖せず、前記工事に際しても保安係員を立ち会わせることなく漫然これを放置した過失により、火災を三階東寄り売場の一区画(床面積一、〇六二平方メートル)だけで防止することができず、前記のように拡大させて多量の煙をビル七階に通ずる換気ダクト、らせん階段等により、「プレイタウン」店内に侵入充満させ、

第二  被告人桑原及び同髙木の両名としては、前記のように、閉店後の六階以下で火災が発生した場合、多量の煙が営業中の「プレイタウン」店内に侵入充満することが十分予測されたのであるから、平素から救助袋の維持・管理に努め、従業員を指揮して客等に対する避難誘導訓練を実施し、煙が侵入した場合、速やかに従業員をして客等を避難階段に誘導し、もしくは、救助袋等を利用して避難させ、もつて客等の逃げ遅れによる事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、いずれもこれを怠り、右階段等の状況を把握することなく、また、備付けの救助袋(一個)が一部破損し、その使用が困難な状況にあつたのに、新品と取り替え、あるいは修理することなく、漫然これを放置し、避難誘導訓練をしなかつた過失により、前記煙が店内に侵入した際、客等に対する適切な避難誘導及び救助袋等による脱出救助を不能にさせ、

もつて、被告人らの前記各過失の競合により、「プレイタウン」店内で遊興中の客及び従業員のうち、別表一のとおり栗村益美(当時二六年)ほか一一七名を一酸化炭素中毒等により死亡させ、さらに、別表二のとおり佐藤千代(当時三四年)ほか四一名に対し、一酸化炭素中毒等の重軽傷を負わせたものである。」

との公訴事実に対し、被告人中村、同桑原及び同髙木の前記各業務上の注意義務の存在及び右各注意義務の不履行の事実を認めながら、被告人中村については、六階以下各売場の閉店時に保安係員をして防火区画シャッターを完全に閉鎖させること及び閉店後千日デパートビル内で工事等を行わせるような場合に、保安係員をそれに立ち会わせることがいずれも事実上困難で本件結果の回避可能性がなかつたとし、被告人桑原及び同髙木については、本件火災による煙は、エレベーター昇降路という予期できない場所から急速、かつ、大量に「プレイタウン」店内に侵入し、そのため同店内は大混乱に陥つたと認められるので、仮に前記各注意義務を尽くしていたとしても客等を避難誘導し得たか疑問であり、救助袋についても、これが取替え若しくは補修されて完全に設置されたとしても、本件被害者の全員が脱出し得たとは認められないから、右注意義務を尽くしていても、本件結果の回避可能性がなく、また、仮に救助袋の周辺に集まつていた者の中で一部の者がこれを使用し得て助かり死傷の結果を回避し得たとしても、それがだれであるかを特定し得ないから、本件結果との間に因果関係がないとして、「被告人三名は、いずれも無罪。」との判決を言い渡したが、原判決が、被告人中村について、その注意義務の存在を肯認しながら、右各義務を履行することは困難であり、結果回避の可能性を認め難いとした点、並びに被告人桑原、同髙木の関係について、「プレイタウン」の従業員桑原義美らがダクト開口部から流出している煙に気付いた時刻は午後一〇時三九分ころであるのに午後一〇時四〇分ころと認定している点、被告人髙木がホールからアーチの南側(アーチとクロークの中間付近)に来た時刻は遅くとも午後一〇時四〇分過ぎころであるのに午後一〇時四二分過ぎころと認定している点、並びに右両被告人につきその各注意義務の存在を肯認しながら、結果回避の可能性を認め難く、因果関係存在の証明もないとした点は、いずれも証拠の評価、取捨選択を誤つた結果、事実を誤認したものであり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

二本件事案の概略

そこで、所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討するのに、原判決が所論のとおりの理由で被告人三名に対して無罪を言い渡したことは、その判文に徴し明らかであるところ、原審で取り調べた関係証拠及び当審における事実取調べの結果を総合すると、原判決がその理由の第二ないし第六において、日本ドリーム観光株式会社及び千土地観光株式会社、千日デパートビル・千日デパート管理部及び「プレイタウン」、被告人らの経歴、本件火災の概略、本件火災当時の「プレイタウン」店内の状況及び死傷者の発生等につい詳細に認定する事実は、後記5に説示のとおり、同理由第六の一の3に認定の桑原義美らがダクトからの煙に気付いた時刻及び同理由第六の二の4に認定の被告人髙木がホールからアーチの南側に来た際の状況と到着時刻等の点を除き、ほぼ同一の事実を認めることができる。以下、一部原判決認定の事実を引用するとともに若干これに付加してその概略についてみるに、右証拠によれば次の事実が認められる。

1  千日デパートビルについて

(一)  沿革、使用状況の概略

千日デパートビルは、いわゆる大阪・ミナミの繁華街の中心部である大阪市南区難波新地三番町一番地及び四番町一番地の三に所在し、本件火災当時は鉄骨鉄筋コンクリート造陸屋根・地下一階・地上七階・塔屋三階建・延床面積二万七五一四・六四平方メートル(屋上を含む。)の建物であり、当初は昭和七年九月ころ劇場建物として建築され、大阪歌舞伎座として使用されていたものを、ショッピングセンターとするため、昭和三三年五月から大改造工事が行われ、同年一二月一日から千日デパートとして使用されるに至つたものである。

同ビルは、難波新地五番町五九番地に本店を置く日本ドリーム観光株式会社(大正二年四月九日設立当初は千日土地建物株式会社、昭和二六年九月二八日千土地興業株式会社、昭和三八年七月二五日現商号に順次商号変更されたが、以下、その時期を問わず「ドリーム観光」という。)の所有に属し、前記千日デパート開業直後からの同ビルの管理は昭和三三年一二月四日にドリーム観光の子会社として設立された千日デパート管理株式会社が行つていたが、昭和三九年五月ころからはドリーム観光の千日デパート管理部が行うこととなり、同管理部では、従来に引き続き、同ビル内各階の室や開放状態の店舗用床部分をドリーム観光から賃借した賃借人等(以下、「テナント」という。)から賃料及び付加使用料名下に共同管理費を徴収し、これによつて保安・防犯等の管理業務を行つていた。そして、昭和四三年三月には、株式会社ニチイ(以下「ニチイ」という。)が同ビル四階売場部分全部を賃借してニチイ千日前店を開き、さらに同年一〇月に同ビル三階売場部分のほとんどを賃借してその店舗を拡張した。また、ドリーム観光の全額出資にかかる千土地観光株式会社(以下「千土地観光」という。)も、そのテナントの一つとしてその設立当初から本店事務所を同ビル内に置き(昭和四四年六月から本件火災当時までは六階)、昭和四二年五月には同ビル最上階の七階を賃借し、同月一六日からキャバレー「プレイタウン」(以下「プレイタウン」という。)の営業を開始した。

本件火災当時における千日デパートビルの各階の使用状況は、原判決理由第三の3に記載のとおりであるが、地下一階では二七店舗等、一階では八二店舗(外周部分の一九店舗を含む。)等、二階では四四店舗等、三階ではニチイ売場のほか衣料品店四店舗等、四階ではニチイ売場等、五階ではニチイ事務所、均一スーパー(ドリーム観光直営)等、六階では千土地観光事務所等、七階では「プレイタウン」等、塔屋一階では鳥獣店等、塔屋二、三階では各貸事務所等であり、後に認定のとおり、千日デパートビルは消防法八条に定める複合用途防火対象物であり、また、「プレイタウン」も同法条に定める防火対象物であつた。

(二)  同ビルの出入口、階段、エレベーター、エスカレーターの状況並びにエレベーター昇降路工事の欠陥等

同ビルの出入口等の状況は、原判決の理由第三の一の4に記載のとおりであり、AないしFの六つの階段のうち、「プレイタウン」から利用可能な階段は、一階又は地階から屋上まで通じているA、B、E、Fの四階段であるが、このうちB階段は「プレイタウン」専用の階段とされていて、同階段へは、別紙第一ないし第八図及び第一〇図のとおり、同ビルの構造上、一階においては「プレイタウン」専用出入口から、地階においては千日デパートの売場に鉄扉をへだてて通じている「プレイタウン」専用エレベーターホールから出入りすることができ、二階ないし六階の同デパート各階の売場及び七階の「プレイタウン」の店内南端にあるクロークの裏側(南側)からは、右各売場又はクロークの南側の鉄扉を開け、階段付属部分となつている畳約一畳ないし約半畳大の通路(四階ないし七階は外気に直接接したバルコニー式となつている。)を通つて更に右各通路とB階段踊り場との間にある鉄扉を開けてそれぞれ出入りすることができる構造になつているが、右各鉄扉のうち、地階の「プレイタウン」専用エレベーターホールと同デパート売場との間及び二階ないし六階の各売場と各B階段付属部分の通路との間の各一枚ずつの鉄扉は常時施錠され、七階の鉄扉のみが「プレイタウン」の営業中解錠されており、「プレイタウン」閉店時には同店従業員がB階段の一階及び七階の出入口を施錠していた。

また、同ビル内には、別紙第一ないし第一〇図のとおり八基のエレベーターが設置されているところ、右エレベーターのうち、A階段北側にある三基のうちの東寄りの一基(以下「北側エレベーター」という。)及びA階段西側の一基(以下「南側エレベーター」という。)は、地階から七階までそれぞれ通じている。そして、右二基のエレベーターは、「プレイタウン」専用であつて、その乗降口は、地階の「プレイタウン」専用エレベーターホールと七階の「プレイタウン」店内にのみ設けられ、一階ないし六階の同デパート売場とはコンクリート壁(一部コンクリートプロック壁)で仕切られていた。しかし、本件火災前は同デパート売場の天井板と天井梁との間が天井板で遮へいされていたため分からなかつたが、本件火災により売場三階及び二階の天井板が燃えて落下したため判明したところによると、前記「プレイタウン」専用の南側エレベーター昇降路の三階及び二階部分の北壁には、床から積み上げられたコンクリートブロック壁と天井梁との間に、三階においては上下約七九センチメートル、東西約一・八八メートルの、二階においては上下約一メートル、東西約一・八三メートルの、それぞれのすき間があるという工事の欠陥の存在が判明した。もつとも、右の各積み上げられたコンクリートブロック壁の南側には、三階にあつては天井梁から梁下約八八センチメートル下方まで、二階にあつては天井梁から梁下約一・一五メートル下方まで、それぞれ厚さ約三センチメートルのモルタル壁が垂れ下がつてはいたが、右各ブロック壁とモルタル壁とは、三階にあつては約三三センチメートル、二階にあつては約一ないし五センチメートル(平均約四センチメートル)離れていたため、右各モルタル壁も、前記各天井梁とブロック壁との間のすき間をふさぐ役には立つていなかつたことも判明した。

このほか、同ビル内には、一階から六階までの各階を連絡する設備として、別紙第二ないし第七図のとおりエスカレーター八基が設置されていた。

(三)  同ビルにおける消防用設備等の設置状況並びにF階段二階横引きシャッターの故障、「プレイタウン」に設置の救助袋の破損及び北側ダクトのダンバーの装置不備

千日デパートビルに、本件火災当時設置されていた消防法令の定める消防用設備等のうち、消火栓、消火器、熱式感知器(二階ないし四階にはなし。)、火災報知器、スプリンクラー、救助袋の各階の設置状況は、原判決の理由第三の一の5に記載のとおりである。七階の「プレイタウン」では、救助袋の設置は一か所であり、右救助袋には、南消防署係員の立入り検査で指摘された昭和四五年一二月以前からねずみにかまれた大きな穴などがあり、本件火災後の調査結果によれば、袋本体入口上部の破れ穴は、二〇×一三センチメートルのもの一か所、一〇×一〇センチメートルのもの二か所、三二×二〇センチメートルのもの一か所の計四か所があつたほか、袋本体各所、舌布(出口部分の布)、座布団等に、小は一×一センチメートルから大は一二×六センチメートルまでの破れ穴が一〇数か所あり、また誘導砂袋を投下するための麻ロープが切断し、さらに舌布上部左側の袋本体出口と把持環の間の展張ロープがほつれて切れかかつた状態になつていたことが判明した。そして、警察庁技官鈴木勇作成の鑑定書及び同人の原審証言(第四一回公判)によれば、右救助袋は強度的にみた場合は使用可能であり、人が降下することにより、たやすく穴が拡大するとは考えられないけれども、入口上側布の大きな穴があるため、この穴を見た場合に不安感を抱くと考えられ、安全な救助袋とはいい難いということである。

また、同ビル一階外周には防火シャッターが、各階段の各階出入口(F階段の一階出入口を除く。)には防火シャッター若しくは防火扉がそれぞれ設置され、エスカレーターについても、三階と四階を結ぶ二基、四階と五階とを結ぶ一基、五階と六階を結ぶ一基にはそれぞれ防火カバーシャッターが取り付けられているほか、地下一階及び一階ないし四階の各売場は、別紙第一ないし第五図のとおり、防火シャッター(以下売場内の防火シャッターのみを指す場合は、「防火区画シャッター」という。)、防火扉により、地下一階は二区画(防火区画シャッター七枚)、一階は三区画(同一九枚)、二階は三区画(同一九枚)、三階は四区画(同一五枚及び防火扉二か所)、四階は三区画(防火区画シャッター八枚及び防火扉三か所)の防火区画に分けられていたが、これら防火区画設備は、すべて建築基準法及び同法施行令に適合しているものであつた。そして、同ビルにおいては、毎日午後九時の千日デパート閉店後、直ちに、従業員専用のD階段出入口を除く一階の外周シャッター並びにB階段を除く各階段の各階の出入口及び三階以上にある四基のエスカレーターの防火カバーシャッターが閉鎖されていたのであるが、F階段の二階横引きシャッターは、昭和四〇年ころ故障したまま放置され、それ以後閉鎖されたことはなく、前記各階の売場内にある防火区画シャッターも、一、二度試験的にその一部を閉鎖したことはあつたが、閉店時に閉鎖されることは一度もなかつた。

なお、同ビル内の換気ダクトの内部には、要所要所に防火ダンバー(火災により、温度が急激に上昇した場合に自動的に風道が閉鎖される装置)が設置されているが、右設備が設けられた昭和三三年当時においては、法令上は、換気ダクトの内部に防火ダンバーを設置するよう義務付けられていなかつた。しかし、右防火ダンバーは装置工事の不備により本件火災の際に煙を遮断する作用をしなかつた。

(四)  「プレイタウン」について

(1)「プレイタウン」店内の状況

「プレイタウン」は、前記のとおり千日デパートビル七階に開設されたキャバレーであり、その店内は別紙第八図のとおりであつて、店の大部分はホールで占められ、ホールの南側にクローク、エレベーター等が、北側にボーイ室、楽団室、タレント室、調理場等が、北西側に事務室、衣裳室、ホステス更衣室(以下更衣室という。)等がある。

ホールの広さは、東西が約三二メートル、南北が約一七メートルあり、右客席には、テーブルが一一四個、L字型、棒型の椅子が一四一個、仕切板が三七個置かれていた。ステージの裏側にはホールからボーイ室、楽団室及びタレント室に至る通路があつて、右通路の入口に板戸が設けられ、ホールとの間を隔てている。ホールの窓は北東側に四か所、東側に二か所設けられているが、北東側の窓のうち一番南寄りの窓際には箱に格納した状態で救助袋(本体及びその付属装置)が取り付けられてあり、右箱の前面には「救助袋」と表示され、右窓の上方には救助袋の位置を示す表示灯が設置されていた。ホールの南西隅にはリスト及びレジが設けられ、その南側は男女各便所の出入口となつている。ホール西端はブロック壁になつているが、この壁は、昭和四七年四月一七日に千日デパートビル六階での営業を止め、その跡をボーリング場に改造する工事が始められたことから、その当時、旧店舗部分との境界に造られたものである。右ブロック壁の東側には、これに沿つて一・六五メートルの間隔を置いてベニヤの障壁が設けられており、右障壁及びリスト・レジ室(以下「レジ」という。)と客席との間が、ホールの出入口から調理場、事務所、更衣室等に向かうための主たる通路になつている。また、右通路の南側に位置するホールの出入口は別紙第一一図に示すようなアーチになつており、その南側突きあたりの所にクローク、その更に南側にB階段があり、クロークの東隣りには「プレイタウン」専用のエレベーター二基のうちの南側の一基の乗降口が、その東側にはA階段が、A階段の北側には通路を隔てて専用エレベーター二基のうちの北側の一基の乗降口がそれぞれ設けられている。そして、アーチからクローク及び右各エレベーター乗降口前付近に至る間の通路は別紙第一〇図のとおりで、ほぼL字型になつているところ、南北は、アーチからクロークの出入口まで六・三メートル、東西は、便所東側の壁から一番長い所で一〇・七メートル、通路幅は、アーチ南側付近で二・六メートル、南側のエレベーター乗降口前付近で二・八メートル、A階段の北側付近で一・四メートルである。また、右図面のとおり、B階段入口の前にクロークが設けられ、ホールからB階段に至るにはクロークの通路に面した所に設けられた床上九〇センチメートル、幅五〇センチメートルのカウンターの西端の天板をはね上げることによつて開かれる幅六五センチメートルの出入口を経なければならない構造になつており、クロークの奥行きは二・一メートル、クローク南端の出入口鉄扉(幅八四センチメートル)からB階段出入口までの距離は二・〇九メートルである。なお、事務所前通路は、事務所東端から衣裳室の東側の壁までの距離が八メートル、通路幅は一・二三メートルないし一・八メートルであり、事務所出入口の向かい側の壁には換気ダクトの開口部があるところ、右ダクトは同ビル三階から七階まで貫通しており、その開口部は、七階のほか三、四、六各階にも設けられている。

(2) 同店の営業形態

「プレイタウン」は、千土地観光の経営にかかるキャバレー、サロン等一〇店のうちの一つで、代表取締役で業務部長を兼ねる被告人桑原が直接その営業に関して指揮監督し、被告人髙木は支配人として被告人桑原を補佐するとともに、平素の営業に関しては直接従業員を指揮監督していた。同店の営業時間は、平日が午後五時から午後一一時まで、土曜、日曜、祝日が、午後四時から午後一一時までであつて、客は一五〇名くらいまで収容可能である。

同店の従業員数は、ホステスが一〇〇名くらい、その余の従業員が、アルバイトやパートの者も含めて合計四〇名くらいであつた。

(3) 同店の各階段及びエレベーターの利用状況

ところで、「プレイタウン」店内から利用可能な階段は、A、B、E、Fの四階段であるが、F階段の七階出入口は常時防火シャッター(電動巻上げ式)が閉鎖され、防火扉も施錠されており、A、Eの各階段も、平常時においてはこれを通つて同店関係者が千日デパート内に出入りすることを同デパート管理部において禁止していたことから、「プレイタウン」の営業時間中は、その出入口の扉が施錠されていたため、同店関係者がいつでも自由に利用しうるのはB階段のみであつた。

もつとも、同店の客が来店する場合は千日デパートビル一階の「プレイタウン」専用出入口からB階段を通つて、地下一階の同店専用エレベーターホールに行き、そこからエレベーターを利用して七階へ上がり、帰途も右エレベーターを利用して降り、同店のホステスら従業員も、出退勤にあたつては、通常客と同様右エレベーターを利用していたが、閉店時にエレベーターが混雑する場合等は、客を優先させて従業員はB階段を通つて帰つており、同店もホステスらに対してはそのように指導していた。

2  千日デパートビルの保安管理について

(一)  千日デパート管理部の組織等

前記1の(一)に説示のとおり、千日デパートビルの営業形態は、地階から六階までの店舗用床部分を通路や陳列台によつて区割りして多数のテナントに賃貸使用させ、全体として整合性のあるデパート形式の営業を行い、七階部分ではテナントの千土地観光において「プレイタウン」の営業を行うという、いわゆる雑居ビルあるいは複合ビルであり、ドリーム観光千日デパート管理部が、その管理に当たつていたが、同管理部は、店長と称する同デパート担当取締役(本件火災当時は、本社の常務取締役で総務部長、営業企画部長を兼ねる伊藤隆之が同デパート店長であつたが、同人は平素本社に在席し管理部へは週に一回くらい短時間顔を出す程度であつた。)の指揮監督の下に組織され、部長以下総務、管理、営業の三課と保安係とから構成されていたところ、昭和四六年五月一七日、宮田聞五が、同部次長に就任してからは、部長が空席であつたため、同人が、部長の職務を代行して同部の業務を統轄し、各課及び係を監督指導していた。なお、保安係は、従来管理課に属していたところ、同年一〇月一日付で同部次長の直轄に改められたものであるが、各課のうち、管理課が建物及び各種設備の保全、管理、各種什器備品の運用、管理、テナントに供与する包装紙、値札、制服等の購入、電気、汽罐、換気及び上下水道の各設備の保守、管理、関係官庁等との折衝等の業務を、保安係が火災、盗難等の予防、同デパートの関係者等出入者の点検、店内での不法行為者等への対処、店内諸工事への立会、開閉店時の各階出入口のシャッター及び防火扉の開閉、閉店後の店内巡視、警察、消防等との渉外等の業務をそれぞれ担当していた。本件火災当時の同管理部の人員は、宮田次長のほか、総務課が約一〇名、管理課が約四〇名、営業課が約四〇名、保安係が一四名の計約一〇四名であつた。

なお、千日デパートビルは、消防法令上、その管理権原者である千日デパート店長が防火管理者を定めるべき複合用途防火対象物であり、被告人中村が管理部総務課長在任中の昭和四二年三月一日から同四三年一〇月ころまでの間及び管理課長在任中の昭和四四年四月三〇日から本件火災当時まで同ビルの防火管理者の地位にあり、管理権原者である店長や管理部次長の宮田の指揮監督を受け同ビルの防火管理に当たつていた。

(二)  千日デパート閉店後の同ビル内の保安管理状況

千日デパートは、営業時間が午前一〇時から午後九時までであり、毎週水曜日が定休日となつていたところ、テナントは、ドリーム観光との賃貸借契約の約定及び同デパート店内規定により、(ア) 同ビルの管理上の必要により、管理部の保安係員がテナントの承諾を得ないで店舗に立ち入りできること。(イ) テナントにおいて宿直員を宿泊させないこと(ただし、「プレイタウン」を除く。)。(ウ) 早出、残業をする場合はあらかじめ管理部に届け出ること。(エ) 火災が発生した場合は、テナント関係者において管理部に連絡するとともに、消火に協力すること。(オ) 防火扉、消火器、非常階段、火災報知器等非常用器具設備のある場所及びそれらの使用方法についてはテナントにおいても把握し、これらの周辺に物品を置いたり造作をしたりしないこと。 (カ)テナントによる賃借目的物の改修、造作、間仕切り等の模様替えは、ドリーム観光の書面による承諾なくして行えないこと、などの制約ないし義務を課せられ、したがつて、管理部に届け出て残業をする場合のほかは、閉店後速やかに同デパートビルから退去するよう義務付けられており、テナント又はその従業員不在の営業時間外のテナントの売場設備及び商品の警備を含む同ビルの防犯、防火に関する業務は、管理部保安係において行つていた(この点、閉店後テナントが不在の間は、その売場の保安管理をドリーム観光が行う旨の管理契約が、売場賃貸借契約に付随して締結されていたものと認められる。)。すなわち、本件火災当時は、保安係員一四名のうち、日勤専従者二名を除く一二名を六名ずつ二班に分け、各班が二四時間交代で勤務につき、閉店時刻の午後九時になると、テナントから各売場毎に火元の安全確認をした旨記載した火元点検カードを回収してこれを点検するとともに、従業員専用の前記D階段出入口を除くすべての一階出入口のシャッターを閉め、約二時間にわたつて、「プレイタウン」店内を除く同ビル全館につき絞り出しと称する巡回を行い、残留者の有無の確認及び煙草の吸い穀等火気の点検をしながら、B階段を除くすべての階段の各階出入口の防火シャッター及び防火扉並びにエスカレーターの防火カバーシャッターを閉め、その後も、午後一一時三〇分及び午前五時三〇分の二回、それぞれ約二時間にわたつて「プレイタウン」を含む同ビル全館を巡回するほか、午前二時三〇分から約一時間にわたつて同ビルの二階以下を巡回していた。

ただし、四階については、ニチイが同階全部を賃借した際にドリーム観光との間で交わした昭和四二年二月一六日付の覚書に基づき、ニチイについては、午後一一時までの残業は千日デパート管理部への届出を不要とし、その代わりに、同階においては、残業終了時にニチイの従業員において防火シャッターを降ろし電源を切り、いわゆる絞り出しを行い、店員通路の扉に施錠した上、同デパート管理部保安係に引き継ぐことになつていた。その後同年九月二〇日にニチイが、同ビル三階のほとんどを賃借した際には、改めて右のような覚書の交換はなされなかつたものの、ニチイの関係(三階の他の四店舗を除く。)については、事実上三階も四階部分に準じる取扱いがなされ、三・四階のC、E、F階段出入口の防火シャッター及び右両階を結ぶエスカレーターの防火カバーシャッターはニチイの従業員が閉鎖していた。

また、同ビル地下一階の電気室及び機械室においては、同デパート管理部の電気及び汽罐の係員計二名が宿直をしていた。

(三)  「プレイタウン」の保安管理

「プレイタウン」店内に親会社であるドリーム観光が備え付けてある救助袋等の物品の維持・管理・補修については、昭和四五年一〇月一日付のドリーム観光からの通達により、同店を経営する子会社である千土地観光の費用をもつてすることになつており、また、同店の営業形態が他のテナントとは異なり、閉店時が二時間も遅い午後一一時であるため、閉店後のB階段一階及び七階の出入口等の施錠は、同店従業員がこれをすることとなつており、同店従業員二名が同店内で宿直していたが、同店閉店後の同店内の巡回(二回)については、千土地観光において保安係員一名分の費用を負担して千日デパート保安係員によつて行われていた。

同店は、専用のエレベーターと階段を持ち、その規模、利用形態から消防法令にいう防火対象物であり、昭和四五年五月末千土地観光の代表取締役となつた被告人桑原は同年七月から「プレイタウン」の営業代表者として同店の管理権原者の地位にあつた者であり、被告人髙木は昭和四五年九月一日「プレイタウン」の支配人となり、昭和四六年五月二九日から同店の防火管理者となつたが、その間も他に転勤した前任者の防火管理者選任届が変更されずに残つていたため、正式に防火管理者となるのが遅れたけれども、実質的には被告人桑原を補佐して同店の防火管理に当たる地位にあつた。

(四)  千日デパート管理部と「プレイタウン」間における共同防火管理体制の欠如

千日デパートビルは複合用途防火対象物であり、同ビルの一部である七階所在の「プレイタウン」も防火対象物であつて、それぞれの所属会社は親会社と子会社の関係にはあるけれども、それぞれに別異の管理権原者、防火管理者がいて、消防法八条の二に定める、その管理についての権原が分かれている防火対象物であつたが、双方の管理権原者の間で、火災時の通報など共同防火管理についての必要な事項に関し、協議がなされたことはなく、(両者の間で共同防火管理協議会の設置等もなされていない。)、また、被告人三名とも、右共同防火管理について考えたことはなかつた。また、昭和四六年七月ころ千日デパート管理部側が「プレイタウン」以外の六階以下の階に、火災などの災害の発生に備えて全館に一斉通報できる防災アンプを設置したが、この施工に際し事前に「プレイタウン」側に連絡があつたならば、階下との連絡体制をとる上で費用を負担して「プレイタウン」店内にも右装置を設置し得たのに、管理部からは何の連絡もなく、被告人桑原らは本件火災後初めてその事実を知つた有様で、管理部側に「プレイタウン」との共同防火管理体制についての意識が低調であつたことがみられる。

また、双方の連絡設備としては、「プレイタウン」から一階の管理部保安室に通ずる火災報知器はあつたが、右保安室から「プレイタウン」への通報装置はなく、午後九時まではデパートの交換台を経由する内線電話と加入電話、午後九時以降は加入電話による以外に急用の際の連絡方法がなかつた。

なお、管理部及び「プレイタウン」がそれぞれ行つていた消防訓練は、いずれも千日デパート又は「プレイタウン」だけのものであつて、千日デパートの営業中又は閉店後で、かつ、「プレイタウン」の営業中に、同デパートの売場で火災が発生し、煙が上昇して「プレイタウン」店内に侵入する場合を想定しての消防訓練や避難誘導訓練、救助袋使用訓練は、双方共同でなされたことも、また、「プレイタウン」側のみによつてなされたこともなかつた。

(五)  消防当局が開催した研究会・説明会と防火指導等

(1) 千日デパート管理部に関しては、(ア) 昭和四五年九月一〇日深夜、宇都宮市内の福田屋百貨店で火災があつたことから、同月二九日大阪市南消防署において管内の百貨店等の関係者を集めて、右火災の概要を資料に防火研究会が開かれ、(イ) 同年一〇月三日大阪市消防局においても同市内の百貨店関係者を集めて、右火災の説明会が行われており、また、(ウ) 昭和四六年五月一二日深夜、千葉市内の田畑百貨店で火災が発生したことから、同消防局は、同月二五日及び二六日に千日デパートを含む在阪の百貨店について夜間査察を実施した上、同年六月一日、右百貨店の関係者を集めて、右火災と夜間査察の結果についての説明と防火指導の会を開き、また、これとは別に、(エ) 大阪市南消防署も、同月上旬ころ管内の百貨店の特別点検を実施し、同月一一日、関係者を集めて、右火災と特別点検の結果についての説明会を開いているのであるが、被告人中村は、右四つの会のうち昭和四五年九月二九日の会を除く他の三つの会に出席し、欠席した会についても、これに出席した外山俊一保安係長からその内容の報告を受けているところ、これらの研究会又は説明会では、いずれも、ビル火災においては多量の煙が発生し、これが階段等の貫通部分を通じて上層階に流入すること及びビル火災の延焼防止のための防火区画の重要性についての説明、指導がなされた。大阪市消防局は、前記田畑百貨店の火災以後、それまでは閉店後(以下「閉店後」又は「閉店時」とあるのは、いずれも「閉店直後」ないしは「閉店の際」という趣旨で、大体同じ意味である。)の百貨店の売場内の防火区画シャッターの閉鎖については特に励行することまでは指導していなかつたのを改め、火災が発生しても容易に拡大しないような体制がとられているかどうか、殊に閉店後の防火扉、売場内の防火区画シャッター、エスカレーター部分の防火シャッター等の完全閉鎖の励行を重点的に指導することとし、昭和四六年五月二五日午後九時前ころから千日デパートビルの全館につき夜間査察を実施した際の講評の席では、同消防局及び南消防署の係官が、査察に立ち合つた被告人中村ら管理部社員らに対し、F階段二階出入口の横引き防火シャッターの故障を指摘して閉鎖できるように修理を指示し(この点は、昭和四五年一二月上旬南消防署係官による立入り検査の際にもこれに立ち合つた被告人中村に指示し、同月一〇日付指示書によつて指示事項としても指示し、同被告人は小森営業部長に右指示書を見せたところ、同部長は「一月の休業日に直さないかんなあ」と言うていたが、それきりで、同被告人も忘れてしまつていた。)、防火区画シャッターのシャッターラインの確保、閉店後の右防火区画シャッターの閉鎖を指導し、右査察に基づく昭和四六年六月一日右在阪百貨店の関係者を集めての市消防局主催の百貨店火災説明会において、千日デパート管理部から出席した宮田次長、被告人中村、高鍋保安係長ほか在阪各百貨店関係者らに対し、消防局係官からその半月ほど前の田畑百貨店火災の視察結果と、五月二五日と二六日両日にわたる前記夜間査察の結果に基づき、火災の延焼防止のため閉店時あるいは休業時の防火区画シャッターの閉鎖の必要性を強調して説明、指導するとともに、田畑百貨店の例をとつてダクトのダンバーの点検、天井によつて隠されている工事後の壁などの埋込み欠損の点検の必要性を説明、指導した。被告人中村は消防当局の前記指導を受け、売場のシャッターラインの確保については管理部の売場係に対し、消防署の検査があるから、それまでに良くしておくようテナントに伝えておいてくれと連絡したが(テナントは注意を受けた当座は実行するがまた元の状態に戻るという有様であつた。)、F階段二階出入口の横引き防火シャッターの修理を放置し、閉店後の売場の防火区画シャッターの閉鎖については、これに対する対策を立てることを上司に上申することもなく経過していた。

(2) 「プレイタウン」に関しては、南消防署係官により、(ア) 昭和四五年一二月四日、(イ) 昭和四六年六月ごろ(この際は千日デパートビル全体について)、(ウ) 同年七月六日、(エ) 同年一二月八日の四回にわたり立入り検査があり、その際同係官は、いずれも救助袋がねずみにかまれて破損していることを指摘し、(ア)(イ)(エ)の際には救助袋の早急な補修を、(ウ)の際には救助袋の取替え、それまでは使用を禁止し、その旨の貼紙をしておくよう指示し、被告人髙木は(ア)(エ)の際に立ち会い、(イ)についてはこれに立ち会つた千土地観光業務課長古川武男から、(ウ)についてはこれに立ち会つた従業員の塚本一馬からそれぞれ救助袋についての消防署係官の指示の趣旨の報告を聴き、さらに(ア)(ウ)(エ)についてはそれぞれ南消防署からの昭和四五年一二月八日付、昭和四六年七月一〇日付、同年一二月九日付各指示書をその都度受け取つて、これを被告人桑原に見せて報告したが、同被告人が困つたなあという態度を示すのみで救助袋の補修あるいは取替えにつき何ら指示等をせず、被告人髙木としても、めつたに救助袋を使うようなことはあるまいという考えもあつたので、被告人桑原に対し是非救助袋を至急に補修してほしいとか、新品と買い替えてほしいとか、積極的には要望しなかつた。

3  本件火災の概略

(一)  千日デパートビル三階からの出火状況及び工事関係者、保安係員らの対応並びに火災の拡大状況

本件火災は、昭和四七年五月一三日午後一〇時三〇分ころ、千日デパートビル三階東側のニチイ寝具売場(別紙第四図×印部分)から出火し、発生した。同売場での着火時刻は同日午後一〇時二五分ころと推定される。

当日、同ビル三階及び四階で残業していたニチイの従業員約四名も午後一〇時ころまでには全員帰り、三階では、ニチイから電気工事を請け負つた株式会社大村電機商会の設計監理課長河嶌慶次の監督下に、その下請業者である福山電工社こと福山勝及びその従業員大賀忠司、新谷正和、神崎尚、福山篤ら五名が、電線用配管の取替工事を翌朝午前四時ころまでの予定で行つていたが、このうち、同階南側の婦人肌着売場と子供肌着売場との間の通路(同図柱番号57と58との間)に、ねじ切機やオイルベンダーを置いてパイプのねじ切りや折り曲げ等の作業をしていた福山勝、大賀、新谷、神崎は、午後一〇時三二、三分ころ、右通路の東側、エレベーターの東南角付近(同図〔イ〕)に炎が上がつているのに気付き、出火を知つた。福山勝は、直ちに「火事や。」と怒鳴り、大賀らと共にエスカレーターの方へ消火器を捜しに走り、河嶌は、同ビル一階にいる保安係員に連絡するため、「三階が火事や。」と叫びながら、D階段を駆け降りた。また神崎は、午後一〇時三四分ころ、同階西出入口にある火災報知器(同図〔ロ〕)のスイッチを押した。

当日の宿直勤務についていた千日デパート管理部の保安係員は、係長外山俊一、菊池静雄、森定市、山本博次の四名であつたが、福山勝らが出火に気付いたころ、同ビル一階保安室にいたのは、外山、菊池、森の三名で、山本は、同階西側の従業員出入口で受付勤務についていた。そして、菊池、森の両名は、三階の火災を知らせる河嶌の声が、D階段の方から聞こえるや、直ちに保安室を出て、同階段を駆け上り三階へ急行したが、三階では、出火場所付近一帯がすさまじい勢いで燃え広がり、菊池らが同階に到着したころには、同階のほぼ南北の幅一杯に、エスカレーターの西端近くまで黒い煙が押し寄せており、大賀や新谷が消火器を手にしてその使用方法も分からないまま右往左往していた。菊池は、この状態を見て、直ちにD階段を駆け降り、外山に本格的な火災である旨告げ、同人は、午後一〇時四〇分ころ一一九番通報したが、七階の「プレイタウン」に対しては失念して電話通報をしなかつた。この間、森は、大賀らに消火器の使用方法を教えた後、三階南側機械室外側に設置されている消火栓(同図〔ハ〕)を用いて消火作業をすべく右設置場所へ向かつたが、煙のため、その手前三、四メートルまでしか進むことができず、消火をあきらめてD階段から一階へ逃げ、また、大賀ら他の福山電工社の者も身の危険を感じて同階段を通つて地上へ逃げ出し、午後一〇時四三分ころには三階から全員が逃げ出したが、このころには、D階段の二階付近まで黒い煙が充満していた。

他方、一一九番通報を受けた消防局は、ポンプ車三九台、はしご車七台を含む八五台の車両と消防隊員五九六名を出動させ、これらは同日午後一〇時四三分ころから相次いで現場に到着し、消火及び同ビル七階「プレイタウン」に残留している者の救出や、路上に墜落して死傷した者の収容作業に当たつた。しかし、同ビルでは、当時、売場内の防火区画シャッターを一枚も下ろしておらず、かつ、三階と四階とを結ぶエスカレーター二基の防火カバーシャッターが閉められていなかつたため、消防隊が消火作業を開始したころには、三階から出た火が、エスカレーターを通じて二、四階にも燃え広がり、これらの階に置かれていた商品の大部分が衣料品、寝具等の燃え易い物であつたため、翌一四日午前五時四三分ころ、消防隊により本件火災が鎮圧されるまで燃え続け、更にその後もくすぶり続けて、同ビル二階ないし四階床面積合計約一〇、八九九平方メートルのうち、二階約三、一九二平方メートル、三階約三、二一八平方メートル、四階約二、三五三平方メートルの合計約八、七六三平方メートルを焼損し、同月一五日午後五時三〇分ころに至つてようやく鎮火した。

(二)  「プレイタウン」店内への煙の流入経路及びその流入状況

前記のとおり、本件火災は、千日デパートビルの二階ないし四階を焼損したのであるが、その際、売場にあつた衣料品等の商品や内装材等の燃焼により、一酸化炭素を含む大量の煙が発生し、これが右各階に充満したのみならず、「プレイタウン」専用エレベーター二基のうち南側のエレベーターの昇降路(以下「南側エレベーターの昇降路」という。)、同ビル北側の換気ダクト(以下「北側換気ダクト」という。)、E階段及びF階段を通つて上昇し、「プレイタウン」店内に流入した(E階段及びF階段から七階店内に流入したのは、いずれも避難しようとして従業員らにおいて開けたためである。)。煙が、右各経路を通つて同店内に流入したのは、北側ダクトの四、六、七階に装置されている閉鎖装置のダンパーの故障及び南側エレベーターの昇降路等に前記1(二)に認定のような欠陥箇所があり、また、同店E、F階段出入口まで上昇したのは、後に認定のとおりE階段三階出入口の防火シャッターの閉め忘れや、前記1(三)に認定のとおりF階段二階出入口の横引き防火シャッターが故障により閉められていなかつたことがあつたためである。

すなわち、南側エレベーターの昇降路は、二階及び三階部分の北壁に、本件火災の相当以前からさきに認定のような欠陥工事によるすき間があつたが、外見上、本件火災発生までは、床上約二・三メートルの高さに張られていた石膏ボードとモルタル板とを貼り合わせた天井により、右すき間は売場から遮へいされていたところ、まず三階において本件火災により、右北壁付近の天井が落下したため、火災による煙が天井の落下した部分から、右北壁と天井梁との間のすき間を通つて同昇降路内に入り、上昇して、七階「プレイタウン」乗降口から同店内に流入した。また、その後に燃え移つた二階においても、三階同様に付近の天井板が本件火災により落下し、かつ、さきに認定の三階の天井梁から垂れ下がつていたモルタル壁にも上下約七センチメートル、東西約一〇センチメートル及び上下約三ないし五・五センチメートル、東西約一〇センチメートルの穴が開いたため、火災による煙が、前記すき間や右の穴を通つて同昇降路内に入り、上昇して、七階「プレイタウン」乗降口から同店内に流入した。

次に、北側換気ダクトは、同ビルの三階から七階までほぼ垂直に貫通しており、七階では開口部が「プレイタウン」事務所出入口の向かい側に設けられているほか、三、四、六階にもそれぞれ開口部が設けられているところ、同ダクト内には、四階開口部の上、六階開口部の下、七階開口部の下の三か所に防火ダンパーが設置されていたにもかかわらず、本件火災当時、右三か所の防火ダンパーがいずれも作動しなかつたため、火災による煙が、同ダクト内を上昇して、七階開口部から「プレイタウン」店内に流入した。

また、E階段は、その三階出入口に設置された高さ二・四八メートルの防火シャッターが本件火災当時六五センチメートルくらいしか降ろされておらず、F階段は、その二階部分に設置された横引防火シャッターが故障のため全く閉められていなかつたため、右両階段とも、その防火シャッターが開いていた箇所から火災の煙が流入して、その屋上入口まで上昇充満した。そして、E階段と「プレイタウン」の更衣室との境の鉄扉及びF階段の同店ホールへの出入口にあるシャッターが、そこから避難しようとした同店従業員によつて開けられたため、右両階段に充満していた煙も同店内に流入したが、E階段から流入した煙は右更衣室内に充満したにとどまり、ホールにまでは流入しなかつた模様である。

なお、右各経路から「プレイタウン」店内に煙が流入し始めた時刻は、北側換気ダクトからの煙が本件火災発生当日の午後一〇時三八、九分ころ、南側エレベーターの昇降路からの煙が同日午後一〇時四〇分ころ、E階段からの煙が同日午後一〇時四二、三分ころ、F階段からの煙が同日午後一〇時四八分ころであり、同店内に流入した煙量は、時間の経過とともに増大しているところ、午後一一時五分ころまでに南側エレベーターの昇降路、北側換気ダクト及びF階段から、同店内に流入した煙の平均質量速度及び総質量は、概略左記のとおりである。

(ア) 南側エレベーターの昇降路からの煙

速度 三キログラム毎秒

二五立方メートル毎秒(摂氏二〇度)

総量 四、五〇〇キログラム

三、七〇〇立方メートル(摂氏二〇度)

(イ) 北側換気ダクトからの煙

速度 二キログラム毎秒

一・七立方メートル毎秒(摂氏二〇度)

総量 三、〇〇〇キログラム

二、五〇〇立方メートル(摂氏二〇度)

(ウ) F階段からの煙

速度 一一キログラム毎秒

九立方メートル毎秒(摂氏二〇度)

総量 一二、〇〇〇キログラム

九、七〇〇立方メートル(摂氏二〇度)

なお、本件火災の原因については、証拠上確定することはできず不明である。

4  本件火災当時の「プレイタウン」店内の状況及び死傷者の発生

(一)  客、従業員らの在店状況

煙が「プレイタウン」店内に流入し始めたころ、同店内には、客五七名、被告人髙木以下従業員一二四名(うちホステス七八名、専属の楽団員、ダンサーら一一名)の合計一八一名がいた。客は、ホールで遊興中であり、ホステスは、更衣室にいた福田八代枝ら九名を除きホールで客の接待等に当たつており、ボーイは、片岡正二郎及び本泉昭一がクローク前付近で客の案内のために待機していたほか、ホール等でその業務に従事していた。ステージでは、午後一〇時三〇分ころ、その日最後のショーを終え、引き続き楽団が演奏しており、控えの楽団員らは楽団室に、ダンサーの角谷喜美子はタレント室にそれぞれ引き揚げていた。また、被告人髙木は事務所に、その余の従業員らは、調理場、レジ、クローク等各自の部署にいた。

(二)  客、従業員らの煙覚知及び対応状況

ホールで最初に煙に気付いたのは、ステージにいたバンドマンらである。ショー終了後の演奏が、三曲目に入つて一分くらい経過した午後一〇時四〇分ころ、ドラマーの樋田正平は、ホール天井付近を白い煙がスーッと走るのを見て火事ではないかと思い、直ちに演奏中の他のバンドマンらにそのことを告げ、演奏を中止して楽団室へ行き同室内にいた控えのバンドマンらに火事らしいということを伝えた。そこで、同室内にいたバンドリーダーの高平勇は、様子を見るためすぐホールへ出て、ホールを通り抜けてアーチをくぐり南側エレベーター付近まで行つた。

また、客の越部孝行及び北川恒治もいち早く異常に気付いた。すなわち、右両名は、客席で一緒に遊興中午後一〇時四〇分ころ、焦げ臭いにおいがするのに気付き、越部は、すぐレジへ行つて、女子従業員に異臭について尋ねたが、そのとき付近の天井に白つぽい煙がかすみのように漂つているのを見て火事だと直感し、逃げるためエレベーターの方へ向かつた。北川は、越部に少し遅れてレジに来るや、大声で「火事と違うか。」などと叫び、ホステスに階段の場所を尋ね、その案内でレジの前からホール出入口のアーチの方へ行つた。

他方、クローク、エレベーター付近においては、ホステス長野加代子が、下へ降りるため南側エレベーターに乗り時報時に合わせておいた腕時計を見て、午後一〇時四〇分であることを確認した直後、南側エレベーターの床と昇降路とのすき間から真つ白な煙が立ち上つて来た。同女は、「火事や。」と声をあげ、右煙に気付いたボーイの本泉昭一、同片岡正二郎らが南側エレベーターの前へ様子を見に来た。右長野加代子は、南側エレベーターから降りて北側エレベーターの前へ行き、間もなくホステス杉坂洋子が客を案内して到着した北側エレベーターに飛び乗つて、ともども午後一〇時四三分ころには地階に到着し、一階「プレイタウン」専用出入口から屋外へ脱出した。

なお、長野が北側エレベーターに乗るとき、クロークの方に目をやると、その方向には白い煙が立ち込めて、クロークや南側エレベーターは見ることができず、同女の乗つた北側エレベーターも、七階に到着したとき既にその内部に少し煙が漂つており、降下するにつれて真つ黒な煙が流入して充満し息苦しい状態であつた(なお、午後一〇時四三分ころには、既に五ないし七階の北及び北東の窓から、かすかながら白煙が漏れているのを、そのころ現場に到着した消防隊が現認している。)。

また、クローク内にいたクローク係宮脇末野は、時報に合わせておいた置時計が午後一〇時四一分を指していたころ、南側エレベーターの辺りから便所の方へ二筋ぐらいの白つぽい煙が流れて行くのを見て、エレベーターの故障の煙と思い、クローク西隣りの電気室に行き、電気係吉田美男(本件で受傷)に煙が出ていると告げたところ、同人はすぐに同室から出てホールの方へ向かつて行つた。そのときは既に煙の出方がひどくなつており、同女は煙を屋外に出そうと考え、電気室の窓を開けたが、これとほぼ同時くらいに、急に多量のどす黒い煙がクロークの方から同室の中へ流れ込んできたのに驚き、いつたんホールの方へ向かつたものの、煙の量が増えるので、生命の危険を感じ、アーチ付近まで行つただけで、クロークに引き返し、午後一〇時四三分ころ煙の中を手探りでクローク内を通り抜けて、B階段に通ずる通路に出て、同階段を通つて一階「プレイタウン」専用出入口から屋外に脱出し、前記のとおり既に脱出していた長野と会つた。

ところで、本泉昭一や片岡正二郎らが前記のとおり煙に気付いて南側エレベーターの前に来たころ、ボーイ長新田秀治もホールから右エレベーターの前へ駆けつけ、同人らは、当初エレベーターの故障が原因で煙が出ているのではないかと考え、右エレベーターを止めて点検しようとした。このころ前記のとおり高平勇は右エレベーター前付近まで来たが、エレベーターの床と昇降路とのすき間から煙が出ているのを見てエレベーターの下が火事だと思つたものの、以前、地階の「プレイタウン」専用のエレベーターホールで小火があり、それがすぐ消えたことを思い出して、それほど心配することもないと考え、しばらくしてホールへ引き返し、ステージにいたバンドマンらに楽団室に引き揚げ同室で待機するよう命じた。越部は、高平が右エレベーター前付近から立ち去つた直後の午後一〇時四二分ころ、右エレベーターのすぐ前まで来たが、そのとき、同エレベーターの昇降路から多量の煙が越部の方に覆い被さるように噴き出して来たため、直ちにレジ前に戻つた。また、新田や本泉も、右煙が右エレベーター前からクローク前付近一帯に充満してきたので、レジ付近まで下がつた。このころには、客席にいた客やホステスも、異常に気付き、次第にレジ付近に集まり始めていた。

(三)  換気ダクトの開口部からの煙の流入と、これに対する被告人髙木その他の従業員の対応及びクローク付近の状況

一方、同店内北側においても、午後一〇時三九分ころ、調理場にいた従業員桑原義美らが事務所出入口前の換気ダクトの開口部から流出している煙に気付き、煙の出て来る方に向けて消火器で消火液をかけたり、バケツリレーで水をかけるなどした。事務所にいた被告人髙木は、そのころ、事務所の外で従業員らが騒ぐ声や物音を聞き、直ちに様子を見るため事務所出入口の扉を開けたところ、通路(幅一・二メートル余)をへだてた正面の右ダクト開口部から煙が噴き出していて、その煙が勢いよく事務所内に流れ込んで来るとともに、調理場の従業員二、三名が、事務所前の通路を更衣室の方に行くのを見て、いつたんは同室の方へ向かいかけたが、右通路に煙が充満しており、前を行つていた二、三名が「あかんわ。」「いかれへん。」などと言いながら引き返して来たため、同被告人もすぐに引き返して、右換気ダクト開口部の東側まで行き、同時刻過ぎころ同所で更に同ダクト開口部から黒い煙が噴き出しているのを見て、階下が火事だと判断し、ホール内の様子を見るため、調理場とホールとの間にあるカーテンを通り抜けてホールへ出たが、その時点では、ホール内に薄く煙が立ち込め、客やホステスらがレジ付近に集まり始めていたものの、それほど目立つた騒ぎにはなつていなかつた。次いで、同被告人は、エレベーターの様子を見るため、急ぎ足で午後一〇時四〇分過ぎころ、アーチとクロークの中間付近まで行つたが、その時点では、南側エレベーター昇降路から流入する煙はそれほど多くなく、右エレベーター付近にいた客やホステスら七、八人は平穏にエレベーターを待つている様子であつたため、これなら混乱なく客を送り出すことができると考え、しばらく同所に立つて様子を見ているうち、午後一〇時四二、三分ころ、右エレベーターの昇降路から流入する煙が急激に増加し、右エレベーター前からクローク前付近一帯に煙が充満し始め、暗くなつて来たことから、客やホステスらを早急に避難させねばならないと考えるに至り、近くにいた従業員の一人に電気室から懐中電灯を取つて来るよう指示したところ、右従業員は電気室へ行き戻つて来て、懐中電灯を見付けることができなかつた旨報告した。その後、ホールにいた客らがエレベーターの方に多数押し寄せ、一方では、エレベーター付近にいた客らがホールの方へ後退したため、アーチ付近が混乱し始め、同被告人は、その中をレジ付近に戻り、近くにいた本泉らに対し、「非常口を開け。」と言つてA階段の出入口の扉を開けるように命じた。そこで、本泉が右扉の鍵が保管されている場所と思い込んでいたクロークに行こうとしたが、次第に増量かつ濃密化して来た煙にはばまれてクローク内に入ることができず、それでもなお二、三度クロークに行こうと試みたが、結局、息苦しい上、煙でクローク内が見えないためこれを断念し、新田とともにアーチの南側で両手を広げて、その辺りに集まつていた多数の客やホステスらが、アーチから出るのを押し止め、煙が一杯だからホールの方へ下がるよう指示した。

ところで、本泉がクロークの方へ行こうと試みていたころ、被告人髙木は、レジ付近で「逃げてくれ。逃げてくれ。」と言いながら、アーチの方に向かつて右手を振つていたのであるが、これを見た片岡は、周囲の者を連れてB階段から逃げようと考え、「クロークの裏へ行け。」と言いながら周囲の者と一緒にクロークの方へ向かつたところ、前記のとおり本泉らが客やホステスを押し止めていたため、アーチから先に進むことができなかつた。また、越部と北川は、レジ付近で被告人髙木が南の方を指差して、そちらから逃げるように言つているのを見て、その肩の辺りをつかみ「人に言うばかりでなく、自分で案内して行かんか。先に立つて連れて行かんか。」と言つて、同被告人を先に押しやりながらアーチの方へ向かつたが、レジから一、二歩行つた所で、充満してきた煙と付近に集まつていた人とにさえぎられて、同被告人の姿を見失つてしまつた。

他方、事務所出入口前の北側換気ダクト開口部付近では、煙を発見した直後から調理場の従業員や急を知つて駆けつけたボーイらが、煙の噴き出してくる方向に向けて消火器の消火液や水をかけたりして消火を試みていたが、煙の勢いが一向に衰えず、ますます激しくなつてきたため、間もなく消火作業をあきらめてホールへ逃げ出し、パートやアルバイトのボーイのほとんどはボーイ室に引き揚げた。

(四)  煙の充満のため店内が混乱状態に陥つた状況

片岡がB階段から逃げ出そうとして、アーチの所で止められたのが午後一〇時四四分ころであるが、このころには、ホールにいた者のほとんどがアーチからレジ付近に詰めかけており、南側エレベーターの昇降路から噴き出す黒煙がアーチから南側に充満して、アーチからクローク、エレベーターに至る通路は何も見えない状態になつており、アーチを通つてホールに流入する煙も、次第にその量を増し、レジ付近はアーチの方から引き返そうとする者とアーチの方へ行こうとする者とで混乱し始めていた。片岡はアーチの所で止められた際、もはやB階段へは行けないものと判断し、とつさにE階段から避難しようと考え、「更衣室へ行け。」と言いながら事務所前通路に向かつた。また、被告人髙木は、F階段から客や従業員を避難させようと考え、リスト内の従業員に対し、皆に落ち着くよう放送することを指示して同階段の方へ行つた。そのとき、レジ付近に詰めかけていた客や従業員は、ある者は片岡のあとを追い、ある者は同被告人のあとを追つたが、一部の者は外気を吸うためにホールの窓際へ行き窓ガラスを割り始めた。

しかし、E階段へ向つた一団は、換気ダクト開口部から噴き出す煙とその熱気のため調理場南東角付近から先へ進むことができず、ホールへ引き返したり、あるいはボーリング場工事現場との境にあるブロック壁を打ち破つて逃げようとしたが、壁を壊すことはできなかつた。また、F階段では被告人髙木らが同階段西出入口の施錠してある鉄扉を開けようとして、これに体当たりしたり、その取手をテーブルの脚で殴るなどしたものの開けることができなかつたため、同階段南出口に回り、そのシャッターを開けようとした。しかし、それが電動シャッターであることを知らなかつたため、開けることができず、そこへ本泉が来て、午後一〇時四八分ころ、右シャッターのスイッチを入れてこれを上昇させ、同被告人や付近に集まつていた客、従業員らは、先を争うようにして同階段踊り場に入つたが、そこにも黒い煙が充満していてこれが噴き上げて来たため、直ちにホールに引き返した。

右のように、F階段のシャッターが開くや、そこからも多量の煙が噴き出して、ホールには煙が急速に充満し、かつ、午後一〇時四九分ころには、「プレイタウン」店内の照明が停電により消えたため、ホールは避難路も分からぬまま、右往左往する客や従業員らで混乱の極に達した。その前後、客や従業員の一部は、ホール東側及び北東側に窓があることを思い出し、あるいはそのことに気付いたため、これらの窓際に急ぎ、窓を開けガラスを割るなどして窓から身を乗り出し、外部に噴き出す煙を避けて外気を吸いながら地上の消防隊に向かつて懸命に救助を求めた。また、調理場に入り込んだ客や従業員ら、タレント室等ステージ裏側の部屋まで行くことのできた従業員ら及び先に楽団室やボーイ室に引き揚げていたバンドマンやボーイらも、同様に窓から身を乗り出して地上に救助を求めたが、その余の客や従業員らは、右のいずれの窓際に行くこともできず、ホール客席西側通路、ベニヤ板障壁とブロック壁との間の通路、便所、調理場等で煙に巻かれ、一酸化炭素中毒等により次々と倒れていつた。

このころ、ホステス飯田和江は、ホール内を右往左往した後、便所に向かい男便所に入ったり、女便所に入つたりしているうち停電し、その後手さぐりで便所から出て腰をかがめ、目をつむり、ハンカチで口を覆つて息を殺し、便所東側の壁伝いに無意識に進むうちにクロークに至り、午後一〇時五〇分ないし五一分ころ、クロークを通り抜けてB階段に出た後、同階段を降りて一階「プレイタウン」専用出入口から地上へ脱出した。

なお、被告人髙木はF階段からホールに引き返した後、ホール窓際へ行きボーイ室の方に人が入つて行くのを見て同室へ行き、次いで、楽団室、タレント室へと各室を回つてその様子を見た後、ホールへ引き返したが、なすすべもなくタレント室に戻り、同室の窓から消防隊のはしご車で救出された。

(五)  救助袋の投下及び死傷者の発生状況

ホール窓際では、電気主任の塚本一馬が、救助袋の設置されていた観音開きの窓をこれに巻きつけてあつた針金をはずして開き、次いで、午後一〇時四六分ころからリスト主任金子(別名石原)邦雄、電気係吉田美男、ボーイ本泉昭一、同中屋博及び客の上杉益美らの手によつて、右窓から救助袋の投下が開始されたが、本来救助袋の先端部にロープで連結されて、投下目標地点への誘導の役割を果たすはずであつた砂袋がはずれていたため、救助袋が千日デパートビル二階のネオンサインに引つかかり、これを消防隊員が、午後一〇時四七、八分ころ地上に降ろした上、午後一〇時四九分ころ、消防隊員と付近にいた二〇人くらいの市民とが、協力して救助袋の出口を把握して引つ張り、地上への降下脱出を可能な状態にした。ところで、この救助袋は、別紙第一二図、第一三図のとおり入口の下枠が窓際のコンクリート壁に固定され、上枠はその左右を長さ七八センチメートルの支持棒二本によつて支えられており、かつ、右各支持棒は、その下端部分が下枠の左右に連結され、その連結部分を中心にして上下に回転する構造になつており、普段は、上枠を下に倒して格納しておき、使用する場合は前記誘導砂袋を投下して救助袋本体を降下させた上、右上枠を起こして入口を開き、そこから救助袋の中に人が入つて滑り降りる仕組のものであつたが、当時、救助袋の周辺にいた「プレイタウン」の従業員らは、だれもその正しい使用方法を知らなかつたため、入口の上枠を起こし得る者がなく、救助袋は折角地上でその出口を把持されながら、入口を閉じたまま帯状に垂れ下がつたのみで、正常な方法による使用ができない状態であつた。

そこで、救助袋周辺の窓際にたどり着いた客や従業員らも、救助袋の内部を滑り降りて避難することができないため、ある者は救助袋の外側にしがみついてこれを滑り降り、ある者は窓から身を乗り出して消防隊のはしご車による救助を待つなどしたのであるが、救助袋の外側を滑り降りた者の多くは、滑り降りる際の摩擦熱に耐えることができなかつたり、途中で力が尽きたりなどして地上に転落し、負傷しながらも幸い地上に降りることができたのは、救助袋の下方に張られた救助幕(サルベージシート)の上に落ちた三名を含む八名のみであつた。また、窓際で消防隊の救助を待つていた者の中にも、これを待ち切れずに飛び降り、あるいは窓から転落した者があるが、飛び降り若しくは転落しながらも一命を取り留めたのは、千日前通りのアーケードの上に飛び降りた者一名及び同じくアーケードの上に転落した者一名の計二名のみである。

(六)  更衣室内への煙の流入及び同室内にいたホステスらの対応等

「プレイタウン」店内に煙が流入し始めたころ、更衣室には福田八代枝らホステス九名と衣裳係の松本ヨシノ及び同店保安係の井内初夫とがいたが、午後一〇時四〇分ころ、福田は、調理場の従業員らが事務所出入口前の換気ダクト開口部付近で消火作業をしている声を聞きつけ、更衣室の出入口から出てその方へ行こうとしたが、事務所前の通路から黒い煙が迫つて来たため行くことができず、調理場が火事だと思い更衣室西側のE階段から避難しようと考え、午後一〇時四二、三分ころ、同階段出入口の扉の錠をはずしてこれを開けた。しかし、同階段内には、既に黒い煙が充満しており、これが更衣室に噴き出して来たため同室内には一瞬のうちに煙が充満し、ホステスらは、右往左往した末、三か所の窓のうちロッカーでふさがれていなかつた一か所の窓際へ行つて窓を開け、右福田ら数名が身を乗り出すなどして外気を吸いながら、地上に向かつて救いを求め、その後、消防隊のはしご車により右福田とホステスの岡いつ子は救出されたが、右二名を除くホステス七名は同室で、また、右松本と井内は隣接する宿直室で、それぞれ一酸化炭素中毒により死亡した。

(七)  消防隊のはしご車等による救出活動及び本件火災による店内外における客、従業員らの死傷の状況

消防隊は、現場到着後間もなく「プレイタウン」店内に多数の人が取り残されていることに気付き、はしご車五台を使用して、同店の北側更衣室の窓については午後一〇時四七分ころから、北側楽団室の窓については午後一〇時五六分ころから、北側タレント室の窓については午後一〇時五八分ころから、東側窓については午後一〇時五四分ころから、北東側救助袋のある窓については午後一一時一分ころから、救出作業を開始し、計五〇名を地上に降ろし、また、前記のとおり救助袋の外側を滑り降りる途中で転落する者らのうち計三名を救助幕(サルベージシート)で受け止めるなどして合計五三名を救出した。また、このほかに救助袋の外側にしがみついて地上に降りたり、B階段を使用して同店外に避難し、あるいは飛び降りるなどして計一〇名が同店から自力で脱出した。

しかし、同店内においては、二七名が、はしご車のはしごが着いた窓際若しくはそのすぐ近くにいながら、救出が間に合わずに死亡し、六九名がその余の各所において死亡した。また、一三名が救助袋の外側を滑り降りる途中の転落により、九名がホール窓際からの飛び降り等により死亡した。右死亡した計一一八名の死亡日時、場所及び死因は別表一のとおりであつて、店内における死亡者は、三名が胸部若しくは腹部の圧迫により窒息死したほかは、すべて煙に巻かれて一酸化炭素中毒により死亡したものである。

また、店外に避難した六三名のうち四二名は、在店中煙を吸引するなどし、また、救助袋の外側を滑り降りる際の摩擦若しくは転落等により別表二のとおりの傷害を負つた。

5  本件事実関係の一部につき原判決と異なる認定をした理由

当裁判所が証拠によつて認定した事実は、前記二の1ないし4のとおりであつて、右認定事実は、一部の点を除いて、原判決が認定する事実とほぼ同一であるところ、当裁判所が原判決と異なる認定をした主な点につき、以下、その認定の理由を述べる。

(一) 原判決は、その理由第六の一の3において、「プレイタウン」の調理場にいた従業員桑原義美らが、事務所出入口前の換気ダクト開口部から噴き出している煙に気付いた時刻を午後一〇時四〇分ころと認定しているが、右時刻は、前記二の4の(三)に認定のとおり、午後一〇時三九分ころと認定するのが相当であり、また、右二の4の(三)に認定のとおり、被告人髙木が右ダクト開口部からの煙を見て、階下が火事であると覚知した時刻も、同時刻過ぎころと認められる。すなわち、竹中たか子の検察官に対する供述調書(抄本)によれば、同店調理場の入口近くにいた従業員の竹中は、「目の前の棚に置いてある目覚時計が丁度一〇時四〇分であつた。一日に一分くらい遅れるので、いつも私が午後一〇時ころ時間を合わせ、一分だけ進めて早くしてあり、その日も合わせて一分進めているので正確には一〇時三九分ころである。店の人達が帰りの電車の時間を見るのに使うので余り狂わないようにしてある、その時計を見て椅子に座ろうとしたとき、髙木支配人の「火事や。」か「何や、この煙は。」といつたような叫び声を聞いて、すぐに調理場から西側の通路に飛び出したところ、髙木支配人が事務所から出て来たのに出会つた。」旨、同女が調理場から飛び出す直前の時刻について具体的な根拠を挙げて供述していること、また、桑原義美の検察官に対する供述調書(抄本)によれば、調理場内にいた桑原は、外で「消火器や。」と叫ぶ声を聞いて、調理場の者らが右竹中を先頭にして一斉に通路に飛び出したところ、ダクトから黒煙がどんどん噴き出していた旨供述していること、がそれぞれ認められ、これらの供述に照らすと、桑原は、竹中が時計を見て午後一〇時三九分ころであることを確認した直後に、同女と共に調理場からその西側通路に飛び出して、前記換気ダクト開口部から噴き出している煙に気付いたことが明らかである。そして、被告人髙木の捜査段階における供述によれば、同店の事務所内にいた同被告人は、外の方で騒ぐ声や物音を聞き、様子を見るために事務所出入口の扉を開けてその前の通路に出ると、右出入口の正面にあるダクトから煙が噴き上がるように出ており、同人はいつたん右通路西側にある更衣室の方へ向かつたが、通路に煙が充満していたことなどからすぐに引き返し右ダクト開口部の東側まで行き、そこで右ダクト開口部から黒い煙が噴き出しているのをはつきり見て、階下が火事だと思つた旨供述していることが認められるところ、右供述に、前記竹中、桑原の各供述を併せ考えると、同被告人が前記換気ダクト開口部から噴き出している煙を見て、階下が火事であることを覚知した時刻は、桑原が右煙に気付いた時刻の直後である午後一〇時三九分過ぎころと認定するのが相当である。

もつとも、被告人髙木は、捜査段階において、事務所内で騒ぐ声などを聞いたのは午後一〇時四〇分ころである旨供述しているが、右時刻についての供述が確たる根拠に基づくものではなく、大体の時刻を供述したものであることは、同被告人自身原審公判廷で認めているところであるから、同被告人の右捜査段階での供述は正確とはいい難く、また、同被告人の原、当審公判廷における供述によると、同被告人は、事務所から南側通路に出た際には前記換気ダクト開口部からの煙に気付かず、同被告人が初めてその煙を見たのは、いつたん更衣室の方へ向かつたがすぐに引き返し右ダクト開口部東側まで行つたときである旨供述するが、前記のとおり、右ダクト開口部は事務所出入口前の通路をへだてた真正面にあつて、出入口の扉を開けるとすぐ見える位置にあるので、同被告人が事務所前の通路に出た際に、右ダクト開口部から噴き上がる煙を見た旨の同被告人の前記捜査段階における供述は十分措信し得るものと考えられる。

弁護人らの所論は、(1) 竹中のいた調理場と、被告人髙木のいた事務所とは、幅約四・六六メートルの通路兼空調機ロッカー室があることなどから、事務所内にいる同被告人の声が竹中に聞こえるはずはない、(2) 竹中の供述は、前記調理場から飛び出した後の同女の述べる出来事の順序などが客観的事実や他の者の供述と符合せず、これらの点からすると、同女の前記供述は到底信用できない旨主張する。しかしながら、竹中がいた調理場と被告人髙木のいた事務所とは、所論の通路等をへだてて隣り合わせており、調理場の入口近くにいた竹中が事務所内の被告人髙木の前記叫び声を聞き取ることは十分可能であり、しかも、同女が聞いた同被告人の叫び声の内容からすると、右叫び声は同被告人が事務所出入口のドアを開けた際に発したとも考えられ、そうであれば、同被告人の叫び声は当然竹中に聞こえたはずであること、竹中が上司である被告人髙木の声を聞き誤る可能性は少ない上、同女は同被告人の叫ぶ声を聞いてすぐ調理場を飛び出した際に、事務所から出て来た同被告人と出会つていること、また、竹中の前記供述は、時刻について具体的な根拠を挙げるとともに、これを確認した直後の状況について詳細に供述しているものであることなどの諸点に照らすと、同供述は十分措信し得るものと考えられ、同女が調理場を出た後の出来事の順序などにつき、他の者の供述する客観的事実と一部符合しない点があることは所論のとおりであるが、この点はいまだ竹中の前記供述の信用性を左右するものではなく、所論は採用できない。

(二)  原判決は、その理由第六の二の4において、「被告人髙木がホールからアーチの南側に来たのは、煙が南側エレベーターの昇降路から多量、かつ、急速に噴き出し始めた直後ころで、その時刻は午後一〇時四二分過ぎころであると認めるのが相当である。」と判示しているが、原判決の右認定は誤りであり、被告人髙木がホールからアーチ南側のクローク付近に至つた時点での、南側エレベーター昇降路から流入する煙の量は、前記4の(三)に認定のとおり、いまだそれほど多くなく、かつ、同被告人が右クローク付近に到着した時刻は、午後一〇時四〇分過ぎころであると認定するのが相当である。すなわち、

(1) 同被告人は、ホールからアーチとクロークの中間付近に至つた際の状況について、(イ) 同被告人の司法警察員に対する昭和四八年五月二八日付供述調書によれば、「エレベーター前に、客やホステス七、八人が上がつて来るエレベーターを待つている様子であつたが、別に変わつた様子は見られなかつた。クローク前は店内(ホールのこと)より明るくしてあるので、そう特別に暗くなつていたとは思いませんが、クローク前やエレベーター前は、いつもと比べ大分暗く感じた。大分暗く感じたことは事実です。私はこの様子を見て、この分なら大丈夫混乱なく客を送り出すことができると思い、一、二分そこに立つてレジの方なども見ながら様子を見ていた。」旨、また、(ロ) 同被告人の検察官に対する同年六月一九日付供述調書(一二三〇八丁以下のもの)によれば、「エレベーターの付近に客やホステスが何人か立つていたが、別にだれも騒いでいなかつたと思う。煙があるかどうかはすぐには分からなかつたが、いつもよりは暗くなつているように思つた。クロークの方を見たときは、何か暗くなつているように思つた。エレベーター前の状況を見ていると、その辺はますます暗くなつて来た。」旨、さらに、(ハ) 当審で取り調べた同被告人の司法警察員に対する昭和四七年九月一二日付供述調書によれば、「エレベーターの前には、七、八人の客やホステスがエレベーターを待つているような様子で立つており、私とクロークの間にも四、五人の客やホステスが連れの勘定が終わるのを待つているような様子で立つていた。クローク周辺は最初ホールに出たときの暗さと同じくらいのいつもより少し暗い感じの暗さだつた。私方従業員の二、三人がうろうろしていたことは記憶しているが、そこにいた客やホステスには変わつた様子はなかつた。このとき店内は煙が少し立ち込めたという程度で、特別異常で危険を感じることはなかつた。それで、私はこのままで行けば火事は階下のことでもあり、大したことにならず客をいつものとおり勘定を済ませて帰つてもらえると一安心し、しばらくそこで様子を見ることにした。ところが、そこに立つて一、二分くらいたつたころからクローク前辺りが急に暗さを増した。」旨、それぞれ供述していることが認められるところ、同被告人の右各供述は、その内容が具体的でほぼ一貫したものである上、身柄不拘束で取調べを受けていた同被告人が捜査官に対していずれも任意にこれをなしたもので、殊更に虚偽の供述をしたことを疑わせる事情も認められないこと(この点で、弁護人らの所論は、右各供述は、いずれも同被告人が捜査官より押し付けられたものである旨主張し、同被告人も原、当審公判廷でこれに沿う供述をするが、右公判廷における供述は、同被告人自身、当審公判廷で検察官の質問に答えて、捜査官から右各供述調書の内容を読み聞かされた上、間違いないということで、各調書に署名、押印した旨の供述をしていること及び前記捜査官に対する各供述に照らしてたやすく措信し難く、所論は採用できない。)、また、さきに認定したとおり、「プレイタウン」のホステス長野加代子が南側エレベーターの床と昇降路のすき間から真つ白な煙が立ち上つて来たのを見て、火事と気付いた午後一〇時四〇分過ぎころの時点におけるクローク付近の状況は、同店のボーイ本泉昭一、同片岡正二郎、同新田秀治らが、右エレベーターからの煙を見て、右エレベーターの故障が原因ではないかと考えこれを止めて点検しようとしていたものであり、バンドリーダーの高平勇がそのころ右エレベーター前に来て、同昇降路からの煙を見てエレベーターの下が火事だと思つたものの、それほど心配することもないと考えてホールの方へ引き返したというものであつて、同被告人の述べる前記エレベーター前付近の状況と符合するものであること、などの点に照らすと、十分信用できるものと考えられる。そして、捜査段階における同被告人の前記各供述に加えるに、同被告人は、クローク付近からレジ付近まで戻つた際に、前記のとおり、本泉らに対し、「非常口を開け。」と言つてA階段の出入口の開扉を指示しているところ、同被告人がいつたんはクローク付近に赴き、周囲の状況を確認した上で右のような指示をしたことは、現に煙が噴き出している南側エレベーターの昇降路前を横切らなければ到達できないA階段からの避難誘導を意図したものと認められるから、その時点(午後一〇時四二、三分以降)においても、なおエレベーターホールからA階段及びクローク付近での行動が可能な状況にあると同被告人が判断したことを示すものと考えられることなどの点を併せ考えると、同被告人がクローク付近に至つた時点における南側エレベーター昇降路から流入する煙の量は、いまだそれほど多くはなかつたものと認めるのが相当である。

(2) この点につき、原判決は、理由第六の二の4において、被告人髙木の前記(イ)(ロ)の各供述は信用し難いとし、その根拠として、事件発生直後に作成された大阪府南警察署捜査第一課特別捜査本部作成の「千日デパート出火多数致死傷事件関係資料」(資料№1及び№3の1、2)中の被告人髙木が作成した午後一〇時四二、三分ころにおけるエレベーター付近の煙状況を描写した立体図面によると、南側エレベーター付近から黒煙が多量に噴き出し、付近の通路一帯に煙が立ち込めており、エレベーター前通路にいる数人の者もわずかにその輪かく、人影が分かる程度にすぎないことが認められ、同被告人の捜査官に対する各供述調書において述べている状況とはかなりその様相が異なる点及び前記(イ)(ロ)の各供述調書が本件後一年以上経過してから作成されたものである点を挙げている。しかしながら、まず、右立体図面なるものは、一定の基準に基づいて作成されたものではなく、右資料中の他の図面とこれを比較しても明らかなとおり、各作成者本人の描写方法によつていかようにも描写し得るものであつて、これを他と比較すること自体が困難である上、現に、午後一〇時四二分ないし四三分ころ現場付近に到着したとみられる客の越部孝行の描写した立体図面(同資料№3の2の二七枚目)とは明らかに現場の様相を異にしているなど、同被告人の作成した右立体図面はさほど信頼性のおけるものではなく、そもそも右立体図面に描写された状況が午後一〇時四二、三分ころの状況であつたかどうか、その時刻については何らこれを裏づける客観的証拠はないこと、また、当審で取り調べた同被告人の前記(ハ)の供述調書は、本件火災から四か月後の、なお同被告人の記憶の鮮明な時点において作成されたものであつて、同被告人はその後も前記(イ)(ロ)の各供述調書記載のとおり、同一内容の供述をしていることなどの点に照らすと、原判決が右立体図面を根拠に同被告人の前記(イ)(ロ)の各供述調書の信用性を否定するのは失当といわざるを得ない。

(3) 弁護人らの所論は、混乱していたレジ前からアーチ辺り及びF階段では、被告人髙木を目撃した者が何人もいるのに、同被告人が前記(イ)ないし(ハ)の各供述調書上その付近でしばらく様子を見ていたことになつているアーチとクロークとの中間付近の地点では、同被告人の目撃者が全くいないことからも、同被告人の右各供述調書の内容は到底措信し難い旨主張する。なるほど、右アーチとクロークとの中間地点における被告人髙木の目撃者が証拠上存在しないことは所論のとおりであるが、しかしながら、同被告人が同所近くまで行つたこと自体は、同被告人も、原、当審公判廷でこれを自認する供述をしているところである上、その後の同被告人のレジ前付近での行動は、さきに認定したとおり、客らに対して「逃げてくれ、逃げてくれ。」と言いながらアーチの方へ向かつて右手を振つていたものであり、また、F階段では、同被告人が施錠してある鉄扉を開けようとして、体当たりしたりその取手をテーブルの脚で殴り付けるなどしていたものであつて、同被告人は、これらの場所では、多数の者らの中でかなり目立つた行動をしていたのであるから、これを目撃した者が存在するのは当然であるが、同被告人がアーチとクロークとの中間付近まで行つた際には、その付近はいまだ混乱した状況にもなく、同被告人はその付近に立つてエレベーター前の様子をしばらく見ていただけであるから、同被告人を目撃した旨供述する者がいないとしても、特段異とするほどのことではなく、このことは、同被告人と前後してそのころ南側エレベーター前付近に来て、しばらく同エレベーター昇降路からの煙の様子を見ていたバンドリーダーの高平勇についても、これを目撃したと供述する者が証拠上存在しないことからも明らかであり、弁護人らの所論は採用できない。

(4) 被告人髙木は、原審及び当審公判廷において、「エレベーター前の状況の見えるアーチとクロークの中間付近までは行つたことはなく、アーチの南側の左右(東西)が壁になつていてエレベーター前の見えない地点まで行つたとき、エレベーター前から押し返して来る人達とホールから出ようとする人達の両方から押されて混雑し、その付近は傍にいる人と体を接するような状態だつたが、傍にいる人の顔も分からないほど真つ暗で、エレベーターの方からも煙が出ていると思つたし、「ここはあかん。」というような声も聞いたので、エレベーターの方へ避難することはできないと判断し、人の流れに押されるままレジの前まで引き返した。」旨述べて、同被告人がアーチの南側に来た際の状況及び同被告人の行動等につき、前記捜査段階における各供述とかなり異なつた供述をしているが、同被告人の右公判段階における供述は、前記捜査段階における各供述及び上述した諸点に照らしてたやすく措信し難いものと考える。

(5) 以上に述べたとおり、被告人髙木がホールからクローク付近に至つた時点においては、南側エレベーター昇降路から流入する煙は、いまだそれほど多くなかつたことが明らかであるところ、同被告人がクローク付近に到着した時刻は、右煙の状況及びその際の同所における客やホステスらの様子等に加えるに、同被告人が事務所を出てから同所に至るまでの推定所要時間、すなわち、同被告人は、前記のとおり、午後一〇時三九分ころ事務所を出て、いつたんは通路西側にある更衣室の方へ向かつたがすぐ引き返し、その後、換気ダクト開口部東側からホールを経てアーチを通り抜け、その南側のクローク付近に到着したのであるが、同被告人の捜査及び公判段階における供述によれば、同被告人は、右クローク付近に至るまでの間寄り道をするなどして特に時間を費したことはなく、むしろ、更衣室の方へは走つて行き、その後換気ダクト開口部東側、ホールを経てクローク付近に至るまでは急ぎ足で真つすぐ来たことが認められるところ、司法警察員作成の検証調書及び株式会社技報堂発行の日本人人体正常数値表(写し)によれば、同被告人が事務所を出てからクローク付近に至るまでの距離は、合計四五メートル程度である上、その距離を成人男性の歩行者の秒速一・二五メートルで歩行すると仮定すれば約三六秒程度であることが認められ、その間換気ダクトの煙を見るなどした時間を加えても、一分余りでクローク付近に到達し得るものと推認し得ること、などの点を併せ考えると、同被告人がクローク付近に到達したのは、午後一〇時四〇分過ぎころであつたと認定するのが相当である。

6  本件事実関係について弁護人らの所論に対する判断

(一)  弁護人らの所論は、原判決が、その理由第七の四において、大阪市消防局の係官が被告人中村らに対し、千日デパートビルの閉店後に売場内の防火区画シャッターを閉鎖するよう指導した旨認定したことについて、同被告人らがかかる指導を受けたことはなく、原判決の右認定は事実を誤認したものである旨主張する。しかしながら、原判決が右認定に用いた関係証拠、すなわち、原審公判調書中の証人大森昭次(第一六回)、同熊野昭一(第一七回)、同中山広(第二二回)、同音田孝之(第二三回)、同米谷重雄(第五一回)の各供述部分、森田耕一及び岩井正治の検察官に対する各供述調書を総合すると、原判決の右認定事実はこれを優に肯認することができ、前記2(五)に認定のとおり、当裁判所もこれと同一事実を認定するものであり、所論がその根拠として種々主張するところにかんがみ、更に検討しても、右認定は左右されない。すなわち、右関係証拠によれば、さきに認定したとおり、大阪市消防局は、昭和四五年九月一〇日の宇都宮市内の福田屋百貨店の、また、昭和四六年五月一二日の千葉市内の田畑百貨店の各夜間火災の教訓にかんがみ、昭和四六年五月二五日、二六日の両日、千日デパートを含む大阪市内の各百貨店の夜間一斉査察を実施した際に、ビル火災の延焼拡大防止のために、売場内の防火区画シャッターの閉店時閉鎖を指導し、千日デパートについては、同月二五日に右査察を実施した際の講評の席において、同局係官が被告人中村らに対し、同店売場内の防火区画シャッターを閉店後に閉鎖するよう指導し、同年六月一日被告人中村を含む在阪百貨店関係者を集めての説明会においても閉店後の売場内の防火区画シャッターの閉鎖を励行するよう指導したことが明らかであつて、このことは、右夜間一斉査察に関し、同局局長名義で各消防署長宛に出された通達の実施要領中にも、防火区画について、「防火シャッターは完全に閉鎖し、延焼防止の措置が十分に行われているか、例えば、売場内の防火シャッター、エスカレーター部分の防火シャッター等の閉鎖が励行されているか」と記載されていることが右関係証拠上認められること、また、当審証人伊藤隆之の供述によれば、本件当時、千日デパート店長であつた同人は、「千葉のデパートの火災に関する教訓ということで、防火管理者に対する教育があつたときと思うが、閉店後の売場の防火区画シャッターを閉めておいた方が効果的であるという話を中村からと思うが聞いたと思う。」旨供述していること、さらに、原審公判調書中の証人矢部柳三郎(第一八回)、同山中廣男(第一九回)、同田辺祥一(同)、同山本豊(第二〇回)、同吉田松三郎(同)、同和田要範(第二一回)、同池上隆(第二二回)の各供述部分によれば、大阪市内の大丸、髙島屋、阪神、阪急、三越、近鉄阿倍野店、そごう、松阪屋の八百貨店中、三越を除く他の七店においては、本件火災前から消防当局の指導に従つて、閉店後は防火区画シャッターを閉鎖する措置をとつていたものであること(三越は、各階にエスカレーターを設置するまでは右閉鎖を行つていたのであるが、エスカレーター設置後その完全閉鎖ができなくなり、同店にはスプリンクラーが設置されていたことから、消防当局の承認を得て、右閉店後閉鎖をしなくなつたものである。)が認められることからも、十分裏付けられるところである。所論に沿う被告人中村の捜査及び公判段階における供述は、前記関係証拠並びに右の諸点に照らしてたやすく措信し難く、所論は採用できない。

(二)  弁護人らの所論は、原判決は、その理由第六の一2及び第六の二3において、長野加代子が南側エレベーター昇降路からの煙に気付いた時刻を午後一〇時四〇分ころと認定するほか、同女が北側エレベーターで地階に到達した時刻を午後一〇時四三分ころ、また、右原判決の理由第六の一2において、宮脇が右煙に気付いた時刻を午後一〇時四一分ころ、同女がクロークから脱出した時刻を午後一〇時四三分ころ、さらに、その理由第六の一4において、F階段シャッターの開放時間を、救助袋が投下された時刻(午後一〇時四六分ころ)より後の午後一〇時四八分ころと、それぞれ認定するが、右長野、宮脇が南側エレベーター昇降路からの煙に気付いたのはいずれも午後一〇時四〇分ころ、右両名が七階を離れた時刻は午後一〇時四一分ころであり、また、F階段シャッターの開放時刻は右救助袋の投下時刻前の午後一〇時四五分ころであつて、原判決は、右各時刻につき事実を誤認している旨主張する。しかしながら、原審公判調書中の証人長野加代子(第二六回)、同飯田和江(第二七回)、同宮脇末野(第三一回)、同本泉昭一(第三三回)、同中西正博(第四四回)の各供述部分、吉田美男、宮脇末野(抄本)の検察官に対する各供述調書、大阪市消防局作成の「千日デパート火災概況第2報」と題する書面の抄本、「千日デパート火災概況(第2報)の一部訂正について」(報告)と題する書面の謄本によれば、所論が指摘する右各時刻について、原判決の認定事実はいずれも肯認することができ、当裁判所も、前記4の(二)又は(四)に認定のとおり、これと同一事実を認定するものであり、また、その認定理由についても、右各証拠によれば、原判決が、第六の二3の「当裁判所が個々の出来事の発生時刻及び煙の流入状況を認定した理由」の項において、詳細に説示するところは、いずれもこれを肯認することができる。所論がその根拠として種々主張するところにかんがみ、更に検討してみても、右各認定は左右されず、所論は採用できない。

なお、これに関連して、原判決が右項の中で、「飯田和江が便所から出て、クロークの方に向かう直前に停電したことが認められる」(原判決六七丁表)と説示する点について、弁護人らの所論は、右飯田は、原審公判廷において、同女が男便所に入つた時点で停電になつた旨供述するところであるから、右認定は誤りである旨主張する。しかしながら、右飯田の原審第二七回公判調書中の供述部分によれば、同女は、クロークの方へ向かう直前にまず男便所、次に女便所に入つたが、そのどちらかの便所に入つた際に停電した旨供述していることが認められるのであつて、原判決の右説示は、措辞必ずしも正確とはいい難いが、要するに、同女が、「便所から出て、かつ、クロークの方へ向かう」直前に停電したとの趣旨を述べたものと解せられるので、結局、原判決の右説示に誤りがあるとはいえず、所論は採用できない。

(三)  次に、弁護人らの所論は、原判決は、その理由第六の三において塚本一馬もまた救助袋の入口のセットの仕方を知らなかつたと認定するが、同人は救助袋の取扱担当者であつて、同人が右セットの仕方を知らなかつたということはあり得ず、同人が救助袋をセットできなかつたのは、救助袋が投下されたとたんその周囲にいた客らが大勢押しかけて、投下作業をしていた従業員らを押しのけたためである旨主張する。しかしながら、この点についても、原判決が第六の三の「救助袋の入口が開かなかつた理由」の項において、関係証拠により前記塚本もまた救助袋の使用方法を知らなかつたと認めるほかはない旨説示するところは、その理由を含めて肯認することができ、当裁判所も、右事実を認定するものであり、所論にかんがみ更に検討しても右認定を左右されず、所論は採用できない。

なお、これに関連して、弁護人らの所論は、原判決が右の項において、中屋博の検察官に対する供述調書(抄本)に基づき、塚本一馬が観音開きの窓の掛金に巻きつけてある針金をほどくと、すぐ、その場を離れた旨供述していると指摘しているのは、明らかな誤りであり、中屋の右供述調書には全くそのような記載はない旨主張する。しかしながら、原判決の判文に徴すると、原判決が右のとおり中屋が供述している旨指摘するについては、同人の右供述調書を掲げるほか、原審第三九回公判調書中の同人の供述部分をも併せて掲げていることが明らかであつて、中屋の右供述部分によれば、同人は、弁護人の反対尋問に答えて、前記のとおり、窓の針金をほどいてすぐ他へ行つた旨供述していること(原審記録六九九九丁裏ないし七〇〇〇丁表)が認められるところであるので、原判決が前記のとおり中屋が供述している旨指摘したことに誤りはなく、所論は採用できない。

また、弁護人らの所論は、本泉昭一の検察官に対する昭和五七年六月二日付供述調書によれば、同人は、前記塚本が救助袋の投下作業をしていた旨明白に供述しているので、塚本が救助袋の投下作業に関与したことは明らかである旨主張するが、原審で取り調べた同人の右供述調書(抄本)中には、そのような記載はなく、右所論はその前提において失当というべく採用できない。

三被告人らの業務と各注意義務の内容

ところで、本件のような火災による人の死傷事件において、業務上の過失致死傷罪が成立するためには、まず、構成要件該当性、違法性の問題として、人の生命・身体の危険を防止することを義務内容とする業務に従事する者において、火災による人の死傷の結果発生の予見可能性が客観的に存在し、かつ、その結果を回避するため適切な措置をとることが可能であり、したがつて一定の作為又は不作為が義務付けられる場合に、その義務すなわち注意義務を果たさなかつたことにより、これと因果的に関連して結果が発生したことを要し、次に有責性の問題として、当該行為者に結果予見能力があり、結果を回避するための措置をとり得たのに、その懈怠により結果を発生させたものであることを要するものと解するのが相当であるところ、本件について、原判決が、被告人中村については、千日デパートビル管理部管理課長及び同ビルの防火管理者として、同ビル関係の防火上必要な構造及び設備の維持管理等に関する業務上、「火災の拡大を防止するため六階以下の各階売場に防火区画シャッターが設置されていたのであるから、平素から防火区画シャッターを点検整備した上、六階以下各売場の閉店時には、保安係員をしてこれらシャッターを完全に閉鎖させ、閉店後、工事等を行わせるような場合でも、工事に最少限に必要な部分のシャッターだけを開けさせ、保安係員を立ち会わせるなどして、何どき火災が発生しても、直ちにこれを閉鎖できる措置を講じ、もつて火災の拡大による煙が営業中の「プレイタウン」店内に多量に侵入するのを未然に防止すべき業務上の注意義務」がある旨説示し、また、被告人桑原については、千土地観光の代表取締役及び同社の経営する「プレイタウン」の管理権原者として、被告人髙木については「プレイタウン」の支配人及び同店の防火管理者として、それぞれの消防計画及び避難訓練、避難上必要な設備の維持管理等に関する防火管理の業務上、「適切な消防計画を策定し、平素から救助袋の維持・管理に努めるとともに、従業員を指揮して客らに対する避難誘導訓練を実施しておき、現実に火災が発生して「プレイタウン」店内に煙が侵入した場合には、速やかに従業員をして客らを避難階段に誘導し、若しくは救助袋を利用して避難させ、客らの逃げ遅れによる事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務」がそれぞれ存する旨、詳細に理由を付して説示するところは、適切であつてこれを肯認すべきものと考える。

弁護人らは、原判決認定の被告人中村の注意義務の存在を争うので、以下に、右原判決の右認定の当否について判断するとともに、後記被告人桑原、同髙木らの責任の判断に関係があるので、被告人桑原、同髙木らの各注意義務についても検討することとする。

1  被告人中村について

(一)  防火管理者としての業務

原審で取り調べた関係証拠によれば、被告人中村は、ドリーム観光千日デパート管理部管理課長(昭和四四年四月一日付で就任)として、同会社が直営し、あるいは賃貸して営業している千日デパートビルについて、その維持管理の統括者である同管理部次長宮田聞五(原審相被告人、原審審理中死亡)を補佐するとともに、昭和四四年四月三〇日から本件火災当時まで、同ビルの防火管理者として、同ビルについての消防計画を作成し、これに基づき消火・通報・避難等の訓練の実施、消防用設備等の点検整備、避難又は防火上必要な構造及び設備の維持等防火管理上必要な業務に従事し、右防火管理者としての業務を実行するため、同管理部保安係員に対する指揮監督権をも有していたことが認められる。

(二)  予見可能性

前記千日デパートビルの構造及び使用形態、特に同ビル七階の「プレイタウン」においては、六階以下の店舗等が午後九時に閉店し、テナント関係者が不在(ごく少数の残業者が閉店後しばらく在店することがある。)となつた後も、多数の客やホステス等従業員が午後一一時ころまで在店し、その後も同店の宿直員がおり、しかも、同デパートの売場には、衣類等燃えやすい商品が多量にあり、内装用のベニヤ板や木製商品台等可燃性の物が多数存在しているのであるから、もしも六階以下の閉店後で「プレイタウン」の営業中に、六階以下の防火区画シャッターを完全に閉鎖していない売場等において火災が発生した場合には、その発見の遅れ、初期消火の失敗等から、たちまちのうちに出火場所の階上階下に延焼するとともに、多量の猛煙を噴き上げ、その煙がダクト、エレベーター昇降路、階段等の経路を通つて七階の「プレイタウン」店内にまで達し、客や従業員などの生命身体に対し重大な危害を及ぼすおそれのあることは、ビルの管理、殊にその防火管理に当たる者が等しく予見することのできるものであり、このような危険は、本件火災以前に全国各地において、ホテル・デパート等の火災によつて多数の客らが避難の遅れから火災のみならず、煙と一酸化炭素のまん延により死傷した事件が多発していることからみても、十分具体性を持つた危険であることが明らかである。

本件においては、被告人中村は、さきに二の2(五)に説示のとおり、本件火災前に行われた南消防署や大阪市消防局主催のビル火災についての研究会や説明会等の四つの会のうち、最初の昭和四五年九月二九日の研究会の内容については出席した外山保安係長から報告を受け、その後の三つの会には自らも出席し、これらの四つの会では、いずれも、ビル火災においては多量の煙が発生し、これが階段、エレベーター昇降路、換気ダクト等の貫通部分を通じて上層階に侵入する旨の説明がなされているのであるから、被告人中村としては、千日デパートビルにおいても六階以下の階で火災が発生した場合には、煙がいずれかの経路を通つて七階「プレイタウン」店内にまで侵入するおそれのあること、したがつて同店に在店する客や従業員の生命身体に対し危険の及ぶことのあり得ることを十分予見することができたものといわなければならない。

(三)  結果回避義務(注意義務)

(1) 千日デパート閉店後の売場内防火区画シャッター閉鎖義務

本件火災の拡大を防止するためには、千日デパートビルの構造及び防火設備の状況(二、三、四階に熱式感知器が設置されていない。)等からみて、デパート閉店の際には、あらかじめ同ビルの各階段出入口の防火扉及び防火シャッター並びにエスカレーターの防火カバーシャッターを完全に閉鎖しておくべきことはもとより、防火区画シャッターが設置されている四階以下の各階売場内の防火区画シャッター及び防火扉のうち、三階北側にある東西に四枚連なつた自動降下式(ヒューズ付)シャッター(約八〇度の加熱で自動的に降下して閉鎖)及び同階での工事のために最低限どうしても開けておく必要があつたと認められる二枚の防火区画シャッターを除く全部の防火区画シャッター及び防火扉を閉鎖し、万一火災が発生した場合には、右開けておいた二枚の防火区画シャッターを直ちに閉めることができるような体制を整えておく以外に方法はなかつたというべきであり、防火管理に当たる者としては、右の注意義務があつたといわなければならない。

殊に、売場内の防火区画シャッターの閉鎖に関しては、火災は、いつどこで発生するか予想し難いものであり、同ビルでは、通常の場合、千日デパート閉店後も六階以下に滞在しているのは、保安係員と電気及び汽罐関係の宿直員のみであるところ、保安係員は、一階の保安係室もしくは従業員専用出入口の受付にいるか、同ビル内を巡回しているのであり、電気及び汽罐関係の宿直員は地下一階で勤務しており、同階、一階及び五階以上の階には自動火災報知設備として熱式感知器が設置されてはいるものの、二階ないし四階にはこれが設置されていないのであるから、万一火災が発生した場合、それが二階ないし四階であれば、これを速やかに発見し、保安係員らが直ちに出火場所に駆けつけて初期消火を行い、または火災の拡大防止のため防火区画シャッターを閉めることが可能な体制にはないと認められ、また、地下一階もしくは一階で出火した場合、直ちに保安係員らが出火を覚知することができたとしても、初期消火が必ずしも成功するとは限らず、これが失敗した場合、防火区画シャッターを閉鎖して火災の拡大を防止しなければならないのであるが、火災の状況によつては、特に防火区画シャッターが一九枚もある一階においては、これをとつさの場合に全部閉鎖することが可能であるかは疑わしいことにかんがみると、その構造上、他の階に延焼する可能性が比較的低いと考えられる地下一階の場合は別として、少なくとも一階ないし四階の防火区画シャッターについては、三階北側の自動降下式のもの四枚を除き、同デパート閉店後はすべてこれを閉めておかなければならず、工事が行われている場合は、その工事との関係で最低限開けておく必要のある防火区画シャッターのみ開け、それについては、いつでも下ろすことができるような体制を、整えておくべき義務があつたというべきである。

そして、大阪市消防局が、昭和四六年五月二五日、千日デパートビルに対する夜間査察を実施した際の講評及び同年六月一日在阪百貨店関係者を集めての説明会において、係官から閉店後は防火区画シャッターを閉鎖するよう指導を受けているのであるから、被告人中村は、遅くともそのとき以後は、閉店後売場内の防火区画シャッターを閉鎖する必要があることを十分認識していたのである。

(2) 工事現場に保安係員を立ち会わせる義務

前記二の2(二)に認定のとおり、ドリーム観光と各テナントとの間においては、閉店後テナントが不在の間は、その売場の管理をドリーム観光が行う旨の管理契約が、売場賃貸借契約に付随して締結されていたものと認められるのであるが、関係証拠によれば、閉店後テナントにおいて、その売場で工事をする場合には、テナント又はその従業員が工事の進行状況を監督するために居残つていた場合のあることが認められるので、そのテナント又はその従業員が売場の工事の監督のため居残つている場合においては、そのテナントとの関係では、ドリーム観光管理部において保安係員を立ち会わせる義務があるとまではいえないけれども、その売場に近接している他のテナント不在の売場がある場合には、その不在のテナントとの関係では、防犯、防火その他の事故防止上、同管理部は、その保安係員を工事現場に立ち会わせて、その周辺を警備させるべき義務を負つていたと解するのが相当である。そして、三階売場は、そのほとんどをニチイが賃借していたものの、ニチイの売場の中には「マルハン」等四名のテナントの売場が点在し、いずれも本件火災当時、不在であつたのであり、しかも、本件ニチイの行う工事にニチイの従業員は一人も監視のため立ち会つていなかつたのであるから、ドリーム観光としては、工事を行うに必要最少限の範囲で防火区画シャッターを開放させ、万一火災発生の場合には直ちにこれを閉鎖できるよう、防火管理上保安係員を右工事に立ち会わせるべき義務があつたといわざるを得ず、防火管理者である被告人中村としても、同ビル内のシャッター等の現状、燃えやすい商品等が多量に置かれてあつたこと、人の現在状況等にかんがみれば、万一の火災の発生に備えて、三階の工事現場に保安係員を立ち会わせるよう上司に要請すべき義務があつたといわなければならない。

(四)  被告人中村の右注意義務についての弁護人らの所論に対する判断

(1) 防火区画シャッターを閉鎖する義務に関して

ア 弁護人らの所論は、千日デパート売場内の防火区画シャッターは開閉に多大な時間と労力を要する自重降下・手動巻上げ式である上、くぐり戸がなく、いつたん閉鎖されてしまうと通行が遮断されて巡回が著しく困難となる構造であつて、もともと毎日開閉されることが予定されていないシャッターであることなどからすると、被告人中村には、同デパート閉店後に防火区画シャッターを閉鎖すべき注意義務はない旨主張する。しかしながら、この点について、原判決は、その理由第七の五において、原審弁護人らの右所論と同趣旨の主張に対し、右売場内の防火区画シャッターが設置された昭和三三年当時においては、同シャッターが手動巻き上げ式のものであつても建築基準法の関係法令に適合し、その後の防火区画シャッターに関する法令の改正においても遡及効はなく、右関係法令が電動巻上げ式のものと手動巻上げ式のものとではその閉鎖について異なる取扱いを容認していたと解されるとしても、前記のとおり、千日デパートビルにおいては、防火区画シャッターを閉店後に常時閉鎖すべき必要性が現にあり、かつ、被告人中村が、そのことを消防当局の指導により知つた以上、ドリーム観光として、これを可能ならしめる体制を早急に整えておくべきであつた旨説示するところは、首肯することができ、同被告人に前記注意義務が存することは明らかであるので、所論は採用できない。

イ 弁護人らの所論は、本件火災当時も現在も、百貨店では閉店後に防火区画シャッターを閉鎖しなければならないとする法令は存在しない旨主張する。しかしながら、被告人中村に対して、千日デパート閉店後に防火区画シャッターを閉鎖すべき義務を負わせるのは、千日デパートビルの防火管理者である同被告人において、同ビルの六階以下の階で右閉店後火災が発生すれば、多量の煙が発生して、これが階段等を通じて同ビルの七階で営業中のキャバレー「プレイタウン」店内に流入し、その在店者の生命、身体に重大な危害をもたらすおそれがあることを十分予見し得たことから、かかる結果の発生を防止するために、右予見可能性を前提として、社会通念上同被告人に右注意義務を課すのを相当とされるものであつて、右注意義務を課するにつき、防火区画シャッターの閉鎖を命ずる法令の規定の存在を必要とするものではないというべきであるから、所論は採用できない。

ウ 弁護人らの所論は、火災当日ニチイが予定していた工事は、小規模な電気配管工事であつて、火気を一切使用せず火災を発生させるおそれのないものであつたから、被告人中村が防火区画シャッターを閉鎖する必要を認めなかつたのは当然であり、同被告人には、火災当日同シャッターを閉鎖する義務はなかつた旨主張する。しかしながら、一般に、工事器具の使用により火気を発生させることがあり、また、工事関係者の喫煙管理が徹底しないこともあり得るから、工事自体火気を使用しないからといつて火災発生のおそれがないとはいえないところ、関係証拠によれば、現に、本件火災当日千日デパートビル三階で行われていた電気配管工事の際、現場責任者の河嶌慶次は、右工事に従事していた福山篤に対して、同人が配管用パイプを高速カッターで切断したとき、細かい火花を発し床面から約五センチメートルの高さで約八〇センチメートル前方へその火花が飛ぶのを見て、火花が陳列台上の婦人肌着、同靴下等の燃えやすい繊維製品に燃え移るかもしれないことを懸念し、「危いから何かかぶせろ。」と言つたところ、同人が繊維製品に布をかぶせるなどしたが、その際両名の間で、「繊維製品に布をかぶせても同じじやないか。」「ないよりましだ。」というやりとりがなされたこと、また、工事関係者の喫煙についても、右河嶌が、燃え残りのたばこをパイプを曲げる機械にすりつけたり、床面で踏みつけて消したことがあることがそれぞれ認められ、これらの諸点からすると、前記工事が火災発生のおそれのない工事であるとは認め難いばかりでなく、同工事中の火気管理が厳しくなされていたとは到底いえないから、所論はその前提において失当であり採用できない。

(2) 保安係員を立ち会わせる義務に関して

弁護人らの所論は、火災当日ニチイが行う予定であつた電気配管工事は、前記のとおり工事自体何ら危険性を伴うものではなく、火気を使用することもないので、工事の管理監督は、施主たるニチイの通常行う管理監督にゆだねれば十分であり、ドリーム観光から保安係員を派遣して立会いさせなければならない事情は認められず、工事関係者の喫煙についても、既にニチイに対し文書で具体的に注意するよう要望済みであつたから、被告人中村が右工事に保安係員の立会いを不必要と判断したのは当然であり、同被告人には、火災当日右工事現場に保安係員を立ち会わせる義務はなかつた旨主張する。しかしながら、前記のとおり、ドリーム観光と各テナントとの間においては、閉店後テナントが不在の間は、その売場の管理をドリーム観光が行う旨の管理契約が、売場賃貸借契約に付随して締結されていたものと認められるところ、関係証拠によれば、本件火災当日、ニチイの行う前記工事の監督のため、ニチイの従業員は一人も立ち会つていなかつたのみならず、被告人中村は、右工事現場にニチイの工事監督者がいるかどうかの確認もしていないこと、しかも、ニチイは千日デパートビルに開店以来数回、冷房工事等の夜間工事を行つているが、千日デパート管理部に共同管理費を納入していることから、保安管理上の立会いは同管理部が業務として行うべきものと考えており、営業上の観点から工事の進行状況を監督するためその従業員が工事現場に夜間居残りをすることはあつても、保安管理上の立会人を置いたことはなく、本件火災当日大村電気商会に下請けさせていた夜間工事についても、現場工事人に一切を任せて、ニチイの従業員はだれも監督していなかつたこと、さらに、火災当日千日デパートビル三階の右工事現場にはたばこの吸い殻入れ容器さえ備え付けられておらず、右商会の現場責任者である河嶌は、燃え残りのたばこをパイプを曲げる機械にすりつけて消すなど、自己の喫煙管理すらしていなかつたことがそれぞれ認められるところであつて、被告人中村において、右工事に保安係員の立会いを不必要と判断したのは当然であるなどといえる状況になかつたこと明らかであるから、これを前提とする所論は到底採用できない。

2  被告人桑原及び同髙木について

(一)  右被告人両名の業務

(1) 被告人桑原は、昭和四五年五月に「プレイタウン」等を経営する千土地観光の代表取締役に就任しているところ、同会社の運営については、人事、経理面等で親会社であるドリーム観光から大きな制約を受けているものの、千土地観光の日常業務は代表取締役で実権を握る松尾國三を除く被告人桑原ら四名の取締役において処理し、特に「プレイタウン」ほか二店については、被告人桑原が各店の支配人を通じてこれらの管理を担当していたのであるから、同被告人は、「プレイタウン」の管理について消防法八条の定める権原を有する者」に該当する。したがつて、同被告人は、同条の定めるところに従い、防火管理者を定め、これに消防計画の作成、右計画に基づく消火、避難等の訓練の実施、消防の用に供する設備、消火活動上必要な施設等の点検及び整備、避難または防火上必要な構造及び設備の維持等防火管理上必要な業務を行わせるべき義務を負い、これらの点について、防火管理者及びその他の従業員を指揮、監督する業務に従事していたものである。

(2) 一方、被告人髙木は、昭和四五年九月一日「プレイタウン」の支配人となり、昭和四六年五月二九日付で同店の防火管理者に選任されたものであるから、防火管理者に就任後は、消防法八条の定めるところに従い、同店について、消防計画を作成し、これに基づく消火、避難等の訓練の実施、消防の用に供する設備の点検及び整備、避難または防火上必要な構造及び設備の維持等防火管理上必要な業務を行う義務を負い、右業務に従事していた。なお、同被告人が支配人に就任後、防火管理者に選任されるまでの間、同店には防火管理者が選任されていなかつたが、被告人髙木は、被告人桑原を補佐して来店した客らの安全確保に万全を期すべき支配人の職責を有していたことに照らし、右期間中も、管理権原者である被告人桑原の指揮、監督の下に、右同様の防火管理上必要な業務を果たすべき立場にあつた。

(二)  予見可能性

「プレイタウン」が千日デパートビル七階という最上階の高所にあり、下層階には、千日デパートと称される多数の小売店舗があつて、これら店舗には、多数、多量の可燃物が開放状態で置かれていたのであるから、万が一、同ビルの六階以下において火災が発生した場合には、同ビルは耐火構造の建物であるから、その火が七階まで燃え広がるおそれは乏しいとしても、火災によつて生じた多量の煙と一酸化炭素が、同ビル内の階段や換気ダクト等の経路を通つて「プレイタウン」店内に流入充満し、同店内の事情に疎い者や飲酒のため注意力と行動力の減退した者を含む多数の客や従業員の生命身体に取り返しのつかない重大な危害を及ぼすおそれのあることは、このような建物の管理に当たる者が等しく予見することのできるものであることは、さきに被告人中村の関係において説示したところである。

そして、関係証拠によれば、被告人髙木は防火管理者の資格を得るために講習を受けた際に、「防火管理の知識」と題する冊子が教科書として用いられ、その後も手許に保管していたのであるが、右冊子には、① ビル火災の場合、出火した階から他の階まで燃え広がるおそれは少ないが、発生した煙は内部に充満し、これがわずかなすき間を通して非常な速さで流動し短時間で広い範囲に充満するから、煙の危険性を十分認識しておくこと。② 煙は、出入口、階段、エレベーター、昇降路、ダクト等の貫通部から立体的にほん流する、防火シャッターは煙の遮断には十分でないこと、などが記載されており、同被告人もこのようなことは当然のこととして知り得たはずであることがうかがわれ、このことは被告人桑原についても、たとえ同被告人が右の冊子を読んでいなかつたとしても同様のことがいえるものである。そうすると、被告人髙木、同桑原において、千日デパートビル六階以下で火災が発生した場合、火災によつて生じた多量の煙と一酸化炭素が階段や換気ダクト等のいずれかの経路を通つて「プレイタウン」店内に流入することのあり得ること、したがつて同店の客や従業員の生命身体に対し危険を及ぼすおそれのあることを十分予見し得たものといわなければならない。

(三)  結果回避義務(注意義務)

(1) 六階以下の階で火災が発生した場合を想定して避難計画を立て、これに従つて避難訓練を実施すべき義務

被告人桑原が指揮監督し、被告人髙木が避難計画を立てるためには、ビル火災の特徴及び避難の在り方並びに同ビルの階段等の構造を知つたうえで、避難路を決めなければならないところ、被告人髙木が、ビル火災の特徴や避難の在り方についての知識を得るためには、防火管理者の資格を得るために講習を受けた際に、その教科書として用いられ、その後も同被告人の手許に保管していた前記「防火管理の知識」と題する冊子を読み、消防訓練等の機会をとらえて消防関係者の指揮を受けるべきである。同被告人は、キャバレーの支配人であるばかりか、その防火管理者として、火災の予防のみならず、万一火災が発生した場合には多数の客や従業員を安全に避難させる業務上の義務を負つているのであるから、これを熟読して、防火管理者として必要な知識を修得するよう努力すべきであり、同被告人の理解し得る部分のみを拾い読みするだけでも、同被告人が、ビルの七階にあるキャバレーの防火管理者であるとの自覚を持つてさえいれば、右冊子に記載している前記①②点のほか、③ 避難は原則として地上に行い、エレベーターを使用してはいけない。④ 避難する場合は、煙の滞留する場所、行き止まりになるような場所、熱気流等が通過する場所や吹出口等は危険であるから、これを避け、姿勢を低くして、できれば濡れタオル等で口や鼻を覆い、呼吸を少なくして行動しなければならない。⑤ 避難器具は、階段が火や煙によつて閉ざされ、これを使用しての避難が困難となつた場合に、逃げ遅れた者に残された唯一の避難手段として使用されるものである。⑥ 公衆は、とつさの場合は自分の入場した出入口に向かつて走り、また、一人が駆け出すと、そのあとを追つて一挙に盲目的に殺到する。⑦ 消防訓練には、消火訓練、通報訓練、避難訓練等の部分訓練と、これらの訓練を三種以上組み合わせて行う総合訓練とがあり、総合訓練は、キャバレーの場合六か月に一回以上実施しなければならない。⑧ 消防訓練をする場合は火元を想定して行う、という程度のことは十分知り得たはずである。

そして、右のような知識を同被告人が得たとすれば、同ビルの六階以下の階で火災が発生した場合でも、「プレイタウン」が他の階から完全に遮断された機密構造になつていない以上、同店内に煙がどこからか流入してくるおそれがあるから、煙の具体的な流入経路や速度については分からないまでも、とにかく速やかに客や従業員を避難させる必要があり、その場合、エレベーターを利用せず、A、B、E、Fの四階段のいずれかを使つて地上に避難させるべきであるということに気付き、そうすれば、当然、どの階段が最も安全確実な地上への避難路であるかということに考えが及ぶはずである。そして、この点については、同被告人が、自ら右四階段と同ビル一階にある八か所の出入口の状況を調べ、かつ、千日デパート管理部の保安係に問い合わせることにより、同デパートの閉店時刻である午後九時以降は、同ビル一階の出入口のうち利用可能なものは「プレイタウン」専用出入口と従業員専用出入口しかないこと、A、E、Fの各階段は、当初から防火シャッター等が設置されていないF階段一階出入口を除き、各階の出入口のすべての防火シャッター及び防火扉が閉鎖施錠されていること、B階段は、二階ないし六階についてはB階段の付属部分となつている通路と各階の売場との間にそれぞれ一枚ずつ、地下一階については「プレイタウン」専用エレベーターホールと同デパート売場との間に一枚設置されている防火扉が常時閉鎖施錠されているが、七階の「プレイタウン」のクローク南側とバルコニー式の階段付属部分となつている通路との間、並びに右通路とB階段との間にそれぞれ一枚ずつ設置されている計二枚の防火扉及びB階段一階出入口にある板戸は施錠されていないことを容易に知り得たことは明らかである。してみれば、午後九時以降は、A階段やE階段を利用して客や従業員を避難させようとしても、階段から外へ出ることができないため地上まで避難することはできない道理であるから、地上まで無事に避難させるためには、B階段を通つて同ビル一階の「プレイタウン」専用出入口からビル外に脱出させるか、F階段を通つて一階の売場まで行き、そこから従業員専用出入口まで誘導してビル外へ脱出させるしかないわけであるが、六階以下の売場で出火した場合、一階売場も火災となつていることは十分考えられるから、F階段を利用して避難することは危険であり、また、午後九時までの間も、A、E、Fの各階段を避難路とすれば、地上に出るためには必ず一階の売場を通らねばならないから、六階以下の売場で出火した場合には、その時刻のいかんを問わずA、E、Fの各階段を避難路とするのは危険であること、一方、B階段は前記のとおり各階の売場とは防火扉によつて遮断されているため、売場の火災による火や煙がB階段にまで侵入するとは考えられないから、B階段こそ安全確実に地上に避難することができる唯一の階段であるとの結論に到達することは十分可能であつたと認められる。

このようにして、B階段が避難路として最適であることを同被告人が認識したとすると、防火管理者としては、次に、クロークを通つてB階段まで客や従業員を安全に誘導する方法を考えなければならない。「プレイタウン」の従業員数及び客の収容能力は前記のとおりであるから、従業員の出勤率を七割、客の数を五〇名くらいと控え目にみても、同店内には営業時間中は常時一五〇名くらいがいることになるところ、客は、火災が発生したことを知れば、一般に自分が来店した際に利用したエレベーターで避難しようとすることが予想されるから、エレベーターの方に向かうのを止めて、クロークの方に向かわせなければならないとともに、クロークは、その前の通路に面した所に床上九〇センチメートル、幅五〇センチメートルのカウンターが設けてあり、その西端の天板をはね上げ、その下にある開き戸を開けて出入りするようになつているところ、その出入口は幅が六五センチメートルしかないため、一人ずつしか通ることができないから、客や従業員をクロークを通つてB階段へ無事に向かわせるためには、ホール出入口からクローク出入口に至るまでの間に従業員を数名配置するか、またはホール出入口付近とクローク出入口付近に従業員を数名配置して、一時に客や従業員がクロークに殺到するのを防ぎつつ、円滑にクロークを通り抜けることができるように誘導しなければならない。

以上のように、B階段が構造上千日デパートの売場から遮断されていることは前記のとおりであるから、被告人髙木らとしては、B階段の状況を把握し、六階以下の階で出火した場合の安全な避難路としてはB階段しかないことを十分認識して、折に触れ同店の従業員に対しそのことを教え、六階以下の階で出火した場合は、速やかにB階段から避難するよう指導、訓練する義務があつたというべきである。

(2) 救助袋の点検、補修及び使用方法等を周知すべき義務

ア 救助袋の取替え、補修の必要性とその可能性

「プレイタウン」はビルの高層階にある上、照明を暗くした同店ホール内には多数のボックス席が所狭しと設けられ、営業中は常時少なくとも一五〇名くらいの客、ホステス、その他の従業員が在店しており、しかも、店内の状況に通じないいわゆる一見の客、酔客が多いことが認められるから、いつたん、火災が発生した場合、避難に手間取り、避難階段から逃げ遅れる者のあり得ることも十分予測できるのであるから、同店の防火管理に当たる者としては、有事の場合における救助袋による避難の重要性を認識し、平素からの救助袋を点検し、破損があればこれを補修するか、新品の救助袋と取り替えるかなどして、有事の際に使用できるように、その維持管理に努めるべき注意義務があるといわなければならない。

本件において、「プレイタウン」に一つしかない救助袋に、前記二の1(三)に説示のとおり、昭和四五年一二月八日の消防署係官の立入検査以前からねずみにかまれた大きな穴があり、本件火災当時にはより大きな穴が何か所もあり、特に袋本体入口上部の二つの大きな破れ穴は使用するについて不安感を抱かせるものであり、さらに、誘導砂袋を投下するための麻ロープが切れているなど安全な救助袋とはいえない状態にあつたのであり、被告人髙木は、前記二の2(五)に説示のとおり、救助袋にねずみにかまれた穴があることを、昭和四五年一二月八日の立入り検査の際消防署係官から指摘されて初めて知り、速やかに補修するよう文書により指示され、その後も昭和四六年七月上旬、同年一二月上旬の立入り検査の際にも速やかに取替えないし補修するよう文書により指示されたのであるから、自己の上司であり同店の管理権原者でもある被告人桑原に対し、単に報告するにとどまらず防火管理上の必要性を訴えて速やかに救助袋を取り替えるか、あるいは補修するよう積極的に働きかけてその実現に努めるなど、その維持管理に努め、かつ、救助袋を使用しての避難訓練を実施すべき業務上の注意義務があり、被告人桑原も、同店の管理権原者として、被告人髙木が消防署から前記指示を受けた都度、同被告人から報告を受け消防署の指示事項を知つた以上は、速やかに救助袋の取替え若しくは補修の措置を講じ、万一の場合における客、従業員らの安全確保に万全を期すべき業務上の注意義務があつたというべきである。

ところで、当時右救助袋の破損部分の補修だけなら一万五〇〇〇円程度、袋の布地部分全部を取り替えるとしても二〇万円程度の費用でできたと認められるから、救助袋の補修だけであれば、当然千土地観光限りで処理し得たと認められ、消防当局のこの点についての指示があつた時点で、被告人桑原に補修する気があれば早急に実現可能であつたことは明白である。また、取替えについても、その費用が二〇万円程度で、親会社であるドリーム観光はもとより千土地観光の会社の規模からみてもそれほど多額な金額とは思われないこと、消防当局から度々前記のとおり指示を受け、特に二度目の立入検査の際には、指示事項につき改善措置がとられるまでは救助袋に使用不能の表示をすることまで指示されていた経緯に照らすと、同被告人が救助袋の重要性を認識したうえ親会社を説得しておれば、多少の時期の遅れはあったとしても、その実現は可能であつたことが認められる。

なお、救助袋の補修若しくは取替えがなされる場合には、その機会に、付属品である誘導砂袋に結びつける投げ綱(麻ロープ)の取替えまたは補修もなされた可能性もあるところ、これらに要する費用の額は証拠上必ずしも明らかではないが、それ程多額なものとは考えられず、少なくとも救助袋の取替え若しくは補修の実現の支障となるほどのものではない。

イ 救助袋を使用しての避難訓練の必要性

救助袋を使用しての避難訓練については、救助袋を格納するキャビネットの正面に、その使用法として、「キャビネットを取除き、投げ綱の砂袋を先頭に投下し、袋本体を降下させ、入口枠を起こして、下部取付完了を確認の上降下して下さい」と表示されているので、日ごろこれを読んで頭に入れてさえおけば、使用方法に関する限り格別訓練をしなくても間に合いそうにも思われるのであるが、救助袋を使用して避難しなければならないような緊急事態に直面した場合は、単に知識として頭に入れていただけでは慌ててしまつて、日ごろなら簡単にできるようなことでもできないことがあり得ることは十分考えられるので、やはりどうしても実際に救助袋を使用して訓練し、その取扱いの一連の過程を身につけておくべきであつた。

しかして、右訓練を行うとしても、消防署係官の指導の下に行う訓練回数が一年に一回程度に限定されるとなると、右訓練もいわゆる総合訓練の一環として行うほかないと考えられるところ、この場合被告人髙木としては、本来「プレイタウン」のホステスを含む全従業員を右訓練に参加させるべきであるが、それが事実上困難であるとしても、少なくとも、同店の自衛消防隊の構成員は全員これに参加させるべき責務を負つていた。

そして、右訓練不参加者に対しても、救助袋は、だれが、いつこれを使用しなければならない立場に立たされるかは予測し難い点もあるので、実際の降下訓練は消防署係官の指導を要するものと考えられるので除くとしても、少なくとも、救助袋を降下可能な状態にするまでの一連の操作過程及びその出口が地上で必要人数(最低六名必要であることが認められる)によつて把持されたことを確認したうえでないと安全に降下できないという程度のことは、被告人髙木において日ごろ指導訓練しておくべきであつた。

3  まとめ

以上に検討したところによれば、原判決が、被告人中村並びに被告人桑原、同髙木につき、それぞれ前記三の冒頭に記載の各注意義務を認定したのは正当というべきである。

四各注意義務の履行可能性ないし結果回避可能性について

1  被告人中村について

(一)  同被告人の各注意義務の履行可能性

(1) 千日デパート閉店後に防火区画シャッターを閉鎖すべき注意義務の履行可能性

千日デパート閉店後に売場内の防火区画シャッターを閉鎖することについては、さきに説示のとおり被告人中村が消防当局から指示、指導を受けていたものであり、以下に説示のとおり、同被告人において上司に上申するなどして、同被告人を含めた千日デパート管理部においてその実行方の方針を立てさえすれば、実現が可能であつたと認められる。すなわち、

ア 宿直保安係員による右シャッターの開閉作業

千日デパートビル一階ないし四階の売場内の合計五七枚の防火区画シャッター(手動巻上げ式)を毎日閉店後閉鎖するためには、これを毎日開店前に巻き上げることの履行可能性も検討しなければならないわけであるが、防火区画シャッターの閉鎖については、各シャッターは手動式ではあるけれども、ダルマと称される開閉装置のスイッチを操作するだけで、シャッターが自重により降下して閉鎖される構造となつているので、大した労力を必要とせず、シャッターラインの確保さえできていれば、本件火災発生当時、宿直の保安係員による閉店後のいわゆる絞り出しの巡回の時にでもこれを閉鎖することは安易であり、シャッターラインの確保についても、被告人中村ら千日デパート管理部側において防災上の必要性を説き、毎日防火区画シャッターを閉鎖する方針を確立してテナントの協力を求めていさえすれば、その協力を得られたものと考えられる。

しかし、これを翌朝開店前に開けるためには、一枚ずつ前記開閉装置にハンドルを入れ手で回して巻き上げなければならないので、ある程度の時間と労力を要するところ、これを宿直の保安係員のみで行うこととすれば、午前九時三〇分から翌朝午前九時三〇分まで(ただし、勤務時間は午前一〇時まで)の二四時間交替で勤務する各六名の保安係員のうち一名が公休等をとるため五名が勤務についていたものとすれば、原判決説示のとおり従業員専用出入口の受付と保安室内の火災報知装置副受信機の監視とに常時各一名を要するから、前記作業に従事可能な宿直の保安係員の人数は三人であるところ(この点について、検察官の所論は、従業員専用出入口の受付要員一名は従業員が出勤する午前九時三〇分までは必要でないというが、関係証拠によると、右受付業務に従事する保安係員は、千日デパートの閉店後も同店に出入りする者の監視等の業務に当たつていたことが認められるから、従業員の出勤前でも、その持場を離れて右作業に従事することは困難であり、所論は採用できない。)、当審証人竹原二郎の公判廷における供述及び同人ほか一名作成の「防火シャッター開閉所要時間等調査結果報告書」によれば、同人らの実験の結果、未熟練の成年男子二名が本件防火区画シャッターと同種の不二サッシ株式会社製造の防火区画シャッター(スチール製手動巻上げ式幅二・四六メートル、高さ二・六四メートル)を急ぎ、かつ、五回連続して巻き上げた場合の平均所要時間は一分一九秒ないし一分二二秒であり、ゆつくり巻き上げた場合には、二分二〇秒ないし二分三〇秒であることが認められることにかんがみれば、巻上げ作業に熟練した保安係員がこれを行う場合には、右防火区画シャッターよりも本件防火区画シャッターが若干幅が広く、また、連続して巻き上げることによる能率低下を考慮しても、一枚の巻上げ所要時間が三分を超えることは考えられないところであり、最大限度三分程度と認められるから、前記のとおり一名当たり一九枚を巻き上げるとして、シャッターからシャッターへ移動する時間を考慮しても、巻上げ所要時間は最大限一時間程度と認められ、この実験結果からみれば、宿直保安係員が午前五時三〇分から午前七時三〇分ころまでの間に行う最後の全館巡回終了後、保安係員の交替時刻である午前九時三〇分までの間に、三名の宿直保安係員が手分けして一階ないし四階の防火区画シャッター五七枚の巻上げ作業を行えば、交替時間までには右保安係員のみで巻上げ作業を完了し得るものと考えられる。

イ 右シャッターの開閉作業についてのその他の方策

ところで、宿直保安係員は隔日勤務であり、したがつて当該保安係員としては隔日の巻上げ作業であるとはいえ、毎日の巻上げ作業(デパートの定休日を除く。)が、少数の保安係員の労働強化となるとして、仮にその実行が困難であるとして、他にこれを実行し得る方策について検討するのに、関係証拠によれば、後記のとおり、被告人中村が同デパートの店長等の上司に対し右シャッター閉鎖の必要性について進言していたならば、上司としてもこれに対応した体制作りを実行したであろうと考えられる上、上司とも相談の上、ニチイほか各テナントに対し、消防当局から宇都宮、千葉両市内におけるデパート火災の教訓にかんがみ閉店時における防火区画シャッターの閉鎖について指導があり早急に実行を迫られている事情を告げて協力を求めたならば、ことはテナントの商品の安全性にもかかわる事柄であるから、防火区画シャッターの開閉について容易にテナントの協力を得られたであろうことが推認されるのである。すなわち、

(ア) 上司に進言しての体制作り

上司に進言しての体制作りに関しては、本件火災当時のドリーム観光の常務取締役兼千日デパート店長で消防法令上千日デパートビルの管理権原者の地位にあつた当審証人伊藤隆之は、「千葉のデパート(田畑百貨店)の火災後これに関する教訓ということで、消防当局から防火管理者に対する教育があつたときと思うが、閉店後売場の防火区画シャッターを閉めておいた方が効果的であるという話があつたということを中村からと思うが聞いたと思う。しかし、閉店後必ず閉めるようにという指導があつたとは聞いていない。消防の方から正式にそういう指導、申し入れがあれば、当然会社としては消防と相談しながら前向きに検討することになつたと思う。」旨供述しているのであつて、同人の右供述の趣旨に照らせば、被告人中村が、防火管理者として防火区画シャッターを閉鎖することの重要性を十分認識し、それを実行するための具体的方策を検討して、上司の右伊藤や、当時千日デパート管理部次長として同部長の職務を代行し、同部の職員の配置や管理を行つていた宮田聞五に意見具申するなどしていたならば、同人らにおいて、千日デパートの閉店後、「プレイタウン」の営業中に同デパート店内で火災が発生すれば、燃えやすい商品等が多量にある同デパート内に急速に燃え広がつて大火災が発生する上、それによつて発生した一酸化炭素を含む多量の煙が「プレイタウン」店内に流入充満し、在店する多数の客や従業員の生命、身体に取返しのつかない重大な事態に至るおそれのあること、そして、このような事態の発生を未然に防止するためには防火区画を確保し火災の拡大を最少限に抑えることが最低限の要請であることを十分認識理解して速やかにシャッター巻上げ作業の実行方策について検討し、もし保安係員のみに行わせることが相当でないという結論になれば、応援体制の確立やテナントとの作業分担についての話し合いなど比較的容易に実現することが可能な措置を講じたものと考えられるのである。

もつとも、利益の追求を第一に考え、防火防災といつたような直接的には利益に結びつかない出費を嫌う一般的風潮があることは、あらゆる事業主体の通弊であるから、消防法令等に基づく義務をはじめとして、事業の経営上、他人の生命、身体、財産に危害を加えないような措置を講ずべき義務の履行は、もともとこのような社会一般の風潮を前提として考えなければならないが、このような観点からするも、ドリーム観光が保安管理体制の強化に関して、殊更消極的であつたということはできず、むしろ過去の経過に照らすと、消防当局の指示・指導に対しては、これを誠実に履行していた向きも認められるところである。すなわち、関係証拠によれば、千日デパートビルにおいても、例えば、昭和三〇年代には、テナントが防火区画シャッターのシャッターラインを妨害して店舗を設け、同シャッターを閉めようにも閉められない事例があつたが、度重なる消防署の指示、指導により、昭和四一年ころには、シャッターラインが確保されるようになつたこと、同四四年ころには、消防署の指導により非常口への誘導灯の増設が行われたこと、同四六年には、消防署の指示により、千日デパートビル六階以下に非常用放送設備を設置したことの各事実が認められるのであつて、被告人中村において、防火管理者としての職務を誠実に行い、上司に対し必要な進言をしてさえいたならば、上司である千日デパートビル店長及び千日デパートビルの管理権原者としても、防火区画シャッターの夜間閉鎖の必要性を十分認識、理解し、これに対応した体制作りを実行したであろうと推認されるのである。

(イ) テナントの協力

テナントに協力を求める場合にまず問題となるのは、三階売場の大部分と四階売場全部を賃借している最大のテナントであるニチイとの関係であるが、ニチイとの間では、同ビル三階及び四階については、C、E、Fの各階段の出入口にある防火扉及び防火シャッター並びに右両階を結ぶエスカレーターの防火カバーシャッターは、当事者間の合意に基づき、ニチイの従業員が閉鎖することになつていたものの、売場内の防火扉及び防火区画シャッターの開閉については双方間で何らの取決めもなされていなかつたのであるが、本件火災当時のニチイの千日前店店長中野好隆は、当審証人として、「本件当時千日デパート管理部から、閉店後売場の防火区画シャッターを閉鎖することについて消防署の指導があつたので閉鎖してもらいたいとの要請があつたならば、千日デパート管理部に対して同シャッターを手動式を電動式に切り替えるよう要望はするが、管理部の保安係員だけでは手が足りないというのであれば、覚書の条項とは関係なく当分の間現状のままでも協力したであろう。」旨明確に証言しているのであるから、右シャッター閉鎖についてニチイの協力を得られたことは明らかである。そして、右中野の証言によれば、ニチイ千日前店には、男子店員約六〇名が毎日出勤していることが認められるところ、防火区画シャッターは、四階の八枚及び三階のニチイ関係部分の七枚のほか、三階の他の四店舗の関係部分四枚を含めても計一九枚を開閉するにすぎず、一人一枚としても三日に一回開閉すればよいのであるから格別の負担でないことが明らかで、ニチイ従業員もニチイ千日前店長の指示によつて右開閉に協力したであろうことが容易に推認されるのであり、このようにニチイの協力を得られた場合、宿直保安係員が巻上げ作業を行うべき防火区画シャッターは一階及び二階の合計三八枚となり、右作業量はかなり軽減されることになるので、宿直保安係員によつて防火区画シャッターの開閉作業を行うことは極めて容易となるのである。

更に進んで、ニチイだけではなく、防火区画シャッターの設置してある各売場を賃借しているテナントに協力を求め、当該賃借場所にある防火区画シャッターを開閉させるという方法について検討するに、各売場の防火区画シャッターのシャッターラインについては、千日デパートの開業当初は十分確保されていなかつたといえるが、関係証拠によれば、消防署の指示指導等により、昭和四一年ころには一応これが確保されるに至つたこと、その後これがルーズになり、本件火災当時、一部シャッターライン上に現に商品台等が置かれていたため、直ちに閉鎖しようとしても完全に閉鎖することができない事情もあつたが、これらの商品台等は容易に移動させることが可能なもので、千日デパート管理部において、毎日防火区画シャッターを開閉するという体制さえ整えば、シャッターラインを確保することはできたこと、しかも、千日デパートのテナントで結成していた松栄会の会長であつた進藤文司は、昭和四一年ころ同デパートの管理部長に対して防火区画シャッターを毎日開閉するよう申し入れるなど、防火管理についてテナント全体が強い関心を有していたことがそれぞれ認められ、被告人中村において、消防当局から前記宇都宮、千葉両市内におけるデパート火災の教訓にかんがみ、閉店時における防火区画シャッターの閉鎖につき指導があり早急に実行を迫られている事情を告げて協力を求めたならば、ことはテナントの商品の安全性にもかかわる事柄であるから、防火区画シャッターの開閉について容易にテナントの協力を得られたであろうことが推認されるのであつて、右協力を得ることに特段の支障があつたとは考えられない。

そして、一階及び二階の各テナントに対して防火区画シャッターの閉鎖及び巻上げ作業について協力を求めた場合においては、一階及び二階の防火区画シャッターは各一九枚であるところ、防火区画シャッターがかかる店舗は一階は一六店、二階は一四店であり、更に各階の防火区画シャッターの内部の店舗まで含めると、一階は二二店、二階は一七店であることが関係証拠上認められるから、関係テナントの各店舗従業員において、閉店時及び開店時に関係ある防火区画シャッターを閉鎖、巻き上げするとしても、各店舗において一ないし二枚を分担すれば足りるのであつて、一、二階においても、防火区画シャッターの閉鎖、巻き上げ作業を行うことは極めて容易であつたことが明白である。

これを要するに、被告人中村らにおいてテナントに対し協力を求めていたならば、協力を得ることがさほど困難であつたとは考えられず、本件火災までの間に、テナントの協力を得て、防火区画シャッターの巻上げ作業を行う体制を実現し得たものと考えられるのである。

ウ 原判決の説示に対する判断

原判決は、その理由の第七の五において、「防火区画シャッター一枚を巻き上げるためには三分ないし五分程度要することが、同被告人の当公判廷における供述、第六六回公判調書中の同被告人の供述部分、第七二回公判調書中の証人進藤文司の供述部分により認められるから、防火区画シャッターを閉店後閉鎖するとして、これを翌朝、開店前に宿直の保安係員三名で防火区画シャッター五七枚を巻き上げるとなると、一名が平均して一九枚を巻き上げなければならないことになるのであるが、一枚の防火区画シャッターを巻き上げるのに要する時間が三ないし五分であるとしても、全部巻き上げるまでには、シャッターからシャッターへ移る時間や、枚数が増えるにつれて若干の能率低下は免れ難く、その分だけ時間が長くなること等をも考慮に入れると、防火区画シャッター一枚を巻き上げるための平均所要時間は五分程度と見ざるを得ないから、結局、右三名がかりで、一名が平均して防火区画シャッター一九枚を巻き上げるには九五分、すなわち一時間三五分程度必要であることになる。しかし、このように時間のかかる作業を、毎日少数の保安係員で行うことが実現可能であつたかは極めて疑わしいといわざるを得ない。」旨説示して、防火区画シャッターの巻上げ作業等を宿直の保安係員によつて実行することは困難だとしているが、右巻上げ作業に要する時間の点については、原判決が根拠としている被告人中村及び原審証人進藤文司の、一枚の防火区画シャッターの巻上げに三分ないし五分を要するという供述は、両名とも実際に巻上げの実験をして所要時間を測定した結果に基づく供述ではなく、単なる推測にすぎないことが両名の供述自体からも明らかであり、さきに説示したところから明らかなように、右原判決の判断は失当というべきである。

また、原判決は、その理由の第七の六において、防火区画シャッターの巻上げ作業は、これを実行できるような体制を整えない限り実現不可能であるとし、その体制作りとして考えられる方法による体制作りの可能性について論述し、いずれもその履行可能性がない旨説示するので、その主要な論拠について、その当否を検討することとする。

まず、原判決は、被告人中村が上司に対し、防火区画シャッター閉鎖の必要性を進言し、その対応策を具申したとしても、実現が可能であつたとは認められない旨説示するが、この点についてはさきに説示のとおり、被告人中村が必要な進言をしていたならば、千日デパート店長及び千日デパートビルの管理権原者としても、当然、防火区画シャッターの夜間閉鎖の必要性を十分認識、理解し、これに対応した体制作りを実行したであろうと推認され、これが実現に至らなかつたのは、被告人中村において、自己の前記注意義務を履行するために、上司である右伊藤や宮田に対し必要な進言を全く行わなかつたからにほかならず、原判決の右判断は失当というべきである。

次に、原判決は、防火区画シャッターの巻上げ作業を実行するための保安係員の増員が困難であることの理由として、ドリーム観光においては、保安係員を減員し保安管理体制の強化に消極的であつた旨説示するところ、関係証拠によれば、千日デパートの保安係員は、昭和三三年の開業当初二五、六名いたものの、本件火災当時は日勤専従者を含めて一四名になつていたが、このように保安係員が減員になつたのは、昭和四二年ころに同デパートの営業方式が納入業者制から全面的にテナント方式に切り替わつて、従来の保安係員の員数が必要でなくなつたためであり、右切替え後は本件火災当時に至るまで、特に保安係員が減員された事実はなく、また、保安係員の増減が問題になつたこともなかつたことが認められるのであつて、ドリーム観光が保安管理体制の強化に殊更消極的であつたとする根拠はないというべく、原判決の右判断は失当である。

さらに、原判決が、防火区画シャッターの巻上げ作業について、テナントの協力を得ることは困難であつたとする点について考えるに、まず、ニチイとの関係について、原判決は、「売場内の防火扉及び防火区画シャッターをニチイ側で毎日開閉するとなると、ニチイとしても従業員の労働条件にも関係してくることであり、同管理部においてこの点の協力をニチイを求めたとしても、それほどたやすくこれが実現できたかは疑問である。」旨説示しているが、この点については、さきに説示したとおり、管理部において早急に実行を迫られている事情を述べて要請をすれば、右シャッターの開閉についてニチイの協力を得られたことが認められるから、右原判決の判断は失当というべきである。

次に、ニチイ以外のテナントとの関係について、原判決は、テナントがシャッターラインの確保に非協力であつた上、被告人中村を無視してその上司と直接交渉し、売場の天井裏を商品倉庫にしたり、一階の外周店舗を物置にして、そこへビル内から直接出入りできるようにし、あるいは消火栓の位置を変更するなどした者もいて、一部のテナントを除いては、概してテナントの防火意識が十分でなかつたこととか、テナントの多くは、千日デパートビル内の防火に関する事柄は、専ら千日デパート管理部において行うべきものであると考えていたことがうかがえることなどの理由を挙げて、仮に被告人中村らにおいて、テナントに対し協力を求めたとしても、防火区画シャッターの巻上げ作業にその協力を得ることは著しく困難であつて、前記夜間査察が行われた後、本件火災までの間に、テナントの協力を得て、防火区画シャッターの巻上げ作業を行う体制が実現し得たかは甚だ疑問である旨説示しているが、この点については、さきに説示したとおり、被告人中村らにおいて早急に実行を迫られている事情を述べて協力を求めたならば、右シャッターの開閉についてテナントの協力を得られたことが推認されるから、右原判決の判断は失当というべきである。

なお、原判決は、その理由の第七の七1において、本件火災当日のみ特に三階売場の電気配管取替工事の関係で火災が発生する場合に備えて火災防止のため必要最低限の枚数の防火区画シャッターを閉鎖することについても、三階のほかに一、二階の各エスカレーターを取り囲む防火区画シャッター三二枚(一、二階とも各一六枚)、合計四二枚を閉鎖しなければならないことになるので五七枚を閉鎖する場合と大差なく、また、閉店後に売場内で工事が行われるのは、本件火災当日のみに限つたことではないから、平素から、閉店後に売場内で工事が行われる場合にはいつでも相当多数の防火区画シャッターを閉鎖し、翌日これを巻き上げることができるような体制を整えておかなければならないことを考慮すると、工事のある日に限り防火区画シャッターを閉鎖するとしても、結局毎日閉店後に防火区画シャッターを閉鎖する場合と同様の問題にぶつからざるを得ないが、右問題が本件火災までに解決可能であつたことの証明がないとして被告人中村らの過失責任を問うことはできないとしているが、その誤りであることは既に述べたとおりである。

エ 右シャッター巻上げ作業についての弁護人らの所論に対する判断

弁護人らの所論は、保安係をして防火区画シャッターの巻上げ作業という重労働に従事させることになれば、労働基準法四一条三号に定める労働時間の制限法規の適用除外を受けることができなくなり、千日デパートビルの保安体制を根本的に改めざるを得なくなるから、右作業に従事させることは物理的に可能であつたとしても社会的に不可能であると主張する。しかしながら、千日デパート管理部の職務分掌規定上、開閉店時の出入口シャッターの開閉、巻上げ及び防火扉の開閉は保安係の担当業務であり、既に一階出入口のシャッター及び階段回りの防火シャッター等については、宿直保安係員が巻上げを行つていることからすると、売場内の防火区画シャッターの巻上げも保安係員の担当業務に包含するものと解せられること、また、大阪市内の各百貨店においては、現在は防火区画シャッターの巻上げはすべて電動式になつているが、それ以前の手動式であつた時にも、宿直の保安係員等により閉店後必ずその閉鎖が行われていたことが関係証拠上認められること、などの点に照らすと、右巻上げ作業が重労働に該当するとして、労働時間制限法規の適用除外を受けることができなくなるとはたやすく断じ難く、そもそも、右所論は、被告人中村らにおいて、所轄労働基準監督署長に対し防火区画シャッターの巻上げ作業を行うことを内容とする右除外申請を全く行つたこともないのに、右適用除外を受けられなくなる旨の仮定論を前提とするものであつて、不当といわざるを得ず、所論は到底採用できない。

(2) 工事現場に保安係員を立ち会わせるべき注意義務の履行可能性

テナントの行う工事に保安係員を立ち会わせることは、さきに説示のとおり、防火管理上の注意義務から当然に派生してくる具体的な結果回避義務であるが、保安係の通常の勤務体制では宿直の保安係員は前記のとおり公休等をとる者一名を除いて五名であり、うち二名は出入口受付及び保安室勤務につき、残り二名は巡回をすることとして、一名は工事(本件では午前四時までの予定)に立ち会わせることができたものとうかがわれるけれども、五名では工事立会いの保安係員一名を割くことができないというのであるならば、臨時の当直員を置くなどして保安管理体制を維持しなければならないのであつて、このような臨時の措置を講ずることは、いずれの企業組織でも常に行われていることであつて、管理責任者においてこれをなし得るところであり、被告人中村や宮田においてもこのような措置をとることができる立場にあつた者であるから、右注意義務を履行し得る可能性があつたものというべきである。

ア 原判決の説示に対する判断

原判決は、その理由第七の七3において、保安係員の立会いの可能性について、① 本件火災当日宿直していた保安係員は、欠勤者が一名いたため四名であり、このうち二名は一階の従業員専用出入口の受付及び保安室内での火災報知装置副受信機の監視等の勤務についていなければならず、残り二名は千日デパートビル内の巡回をし、二四時間勤務であるから、右巡回の合間には仮眠をとる必要もあるところから、翌朝まで行われる予定であつた工事現場に立ち会うために一名を割くことができなかつたものと認めざるを得ない。結局、当時の保安係の勤務体制にかんがみると、工事現場に立会いを付するためには、保安係員を増員するか、千日デパート管理部の保安係員以外の従業員に閉店後の夜間勤務をさせなければならないのであるが、② 本件火災当時、ドリーム観光の取締役で、千日デパートの店長(千日デパートビルの管理権原者)でもあつた伊藤隆之自身が、テナントがその売場で行う工事については、大工事の場合を除き当該テナントが立ち会うべきで、ドリーム観光側から立会人を出す必要はないとの見解をとつており、また同会社は、保安係を増員することに消極的であり、かつ、③ 保安係の増員や、他の従業員を臨時に宿直させるなどすれば、当然そのための新たな出費が必要となるところ、テナントから徴収する付加使用料、すなわち共同管理費は、千日デパートの開業当初に定められた額にすえ置かれたままで、その間、値上げ交渉はなされたものの、テナントから拒否されており、本件火災当時は三度目の値上げ案をテナント側に示し、それについてテナント側が検討中という状態にあつたこと等に照らすと、たとえ被告人中村らが、昭和四六年五月二五日の夜間査察で消防当局からの指導を受けて以後、その上司である右伊藤に対し、テナントがその売場で工事を行う場合に千日デパート管理部から立ち会うための人員を確保するための措置を採るよう進言していたとしても、それが容認されていたかは甚だ疑問である旨判示し、右可能性を否定した。

しかしながら、その履行可能性を否定したのは事実を誤認したものというべきである。

まず①の点については、宿直の保安係員が五名の通常の勤務体制において、保安係員を工事に立ち会わせることの可能性につき、さきに説示したとおりであるが、本件火災が発生した当夜は、たまたま保安係員一名が欠勤したため四名になつたというだけのことであり、このような異常な状態をもつて保安管理体制を論ずるのは誤りである。管理責任者としては、このような欠勤者が生じたときは、直ちにこれを補うための手当を講ずべきは当然の義務であり、特に工事立会いの必要のある場合には臨時の当直員をおくなどして保安管理体制を維持しなければならないものであることは、さきに説示したところと同様であり、管理権者として容易にこれをなし得るところであるから、被告人中村がこれを怠つて右措置をとらず、また、工事の立会いについて何らの指示をなさず、保安係員を工事に立ち会わさせなかつたために、管理上の手落ちが生じたとすれば、それは被告人中村自身の責任というべきであり、原判決の①の判断は失当というほかはない。

そして、②以下の原判示も、①の保安係の勤務体制の不十分さを前提にしたものであつて、右前提が理由のないものである以上、失当というべきであるが、以下に述べるとおり、その判示自体も相当でないと考える。

まず②の点について、前記伊藤隆之は、原審及び当審公判廷において、本件火災当時大村電機商会が施工していた電気配管工事は、施主のニチイが工事に責任を持つべきであつて、被告人中村が右工事に立ち会う必要はない旨、原判示の趣旨に沿う供述をしているところ、この供述は、右伊藤がドリーム観光とテナントとの間に締結されたと認められる前記管理契約上、テナントの行う工事に保安係員を立ち会わせるべき義務があるのにこれを知らずになされた供述である上、そもそも被告人中村らの進言がなかつたため、夜間防火区画シャッターを閉鎖しなければならないこと及びその重要性についての認識がなかつたことを前提とするものであるから、右伊藤の見解は、被告人中村の責任を左右するものではなく、また、ドリーム観光が保安管理体制の強化に特に消極的であつたといえないことは、右シャッター閉鎖義務の履行可能性のところでも述べたとおりである。

次に、③の点についてみるに、テナントから徴収する共同管理費の問題と保安係員の工事立会いの問題とは直接関係のないことではあるが、保安管理体制の強化を打ち出したとき、内容によつては経費の問題にも関係してくるので、右共同管理費の点について検討してみると、共同管理費が開業当初に定められた額に据え置かれたままで、その間値上げ交渉がされたものの、テナントから拒否されていたことは、原判決指摘のとおりであるが、それらの協議経過等を子細に検討してみると、テナント側が理由もなくこれを拒絶していたものではないことが明らかである。すなわち、関係証拠によると、右共同管理費(付加使用料)の値上げ問題については、同デパートオープン直後の昭和三三年一二月当時、坪二、五〇〇円と定められていたところ、昭和三五年ころドリーム観光側から第一回目の値上げ要求がなされたが、テナント側から管理の内容を調査させてほしい旨の申入れを受けるや直ちに右要求を撤回したこと、ドリーム観光は昭和四二年ころ第二回目の値上げを要求したが、その際の値上げの理由は、管理費が不足しているというものであり、その根拠資料も乏しいことから、テナント側で調査することにし、過去六か月間の調査を実施したところ、むしろ管理費には毎月余剰が出ており値上げの必要性は認められなかつたことからテナント側はこれに反対したこと、なるほど、右共同管理費は、昭和三三年当初の坪二、五〇〇円に据え置かれたまま推移しているが、それはデパートオープン当時に比し、テナント数が次第に増えるに従い共同管理費の収入が増加する一方、管理部の人員が次第に減少したことにより収支の均衡がとれ、実質的には坪二、五〇〇円で余剰が出る状況にあつたこと、さらに、昭和四七年三月二三日伊藤隆之店長から第三回目の値上げ要求が出され、その値上げ理由は管理費が月額八〇万円不足している上、更に従業員の昇給や衛生費の増加に伴い約一三〇万円必要であり、併せて約二一〇万円の不足が生ずるとの説明であつたこと、そこでテナント側は、直ちに共同管理費審査委員会を設けて検討することとし、一四名の委員を選任し、同年四月上旬、初会合を開き、取りあえず他の同種事業における資料を収集することとし、同月一七日第二回目の委員会を開催したが、会社側の提示した説明資料によると、共同管理費の使途の大半は人件費で占められていて、その内訳をみると、関連人件費は五、七五九、〇〇〇円(六八・七パーセント)となつており、これらの関連人件費の対象となる従業員の職務の内容が、テナント側において負担すべき人件費であるかどうかを調査する必要があるとして、会社側に右職務内容を明らかにするよう申し入れたこと、その結果、会社側から管理部の職務分掌が提出されたが、これを検討する段階で本件火災が発生して結論を出すに至らなかつたことの各事実が認められ、テナント側が理由もなく値上げに反対していたわけではないことが認められる。むしろ、テナントの坂下金次郎は真に必要な経費であれば値上げもやむを得ないとの意向を示していたことの事情が右証拠上認められるところであり、もし、ドリーム観光側が防火管理上必要な措置を講ずるために、共同管理費の正当な増額を要求していたのであれば、テナント側もこれを受け入れることは十分可能であつたと考えられ、右共同管理費の値上げ交渉問題があつて、経費面から保安管理体制の強化が図れない趣旨の原判決の判断は失当というべきである。

また、上述した問題に関連して、原判決は、被告人中村や宮田次長にテナントがその売場で工事をする場合に、千日デパート管理部から立ち合うための人員を確保するための措置をとり得る独自の権限があつたと認めるに足る証拠がない、旨判示するが、被告人中村は、原審公判廷で、「店内で行われる工事については、事前に申請がなされた段階で立会いをつけるべきかどうかを自分が判断し、管理課の職員を立会いさせることにしていた。テナントの工事であつても、ドリーム観光の施設、電気、汽罐、空調等に関連のある工事には管理課で立会いをつけていた。」、「工事に保安係を立ち会わせるかどうかの判断は一応次長と相談した上ではあるが、私がしていた。保安係が次長直轄になつた以降も同様である。」旨供述し、また、千日デパート店長の伊藤隆之も、同公判廷で、「工事の立会い等の指示は職制上からいえば宮田次長である。」、「デパート自体の工事の保安体制もテナントの工事の場合と同じで、工事の立会いは管理課の課長又は課員である。」旨供述しているのであつて、宮田聞五は、同デパート管理部次長として、管理部の三課(総務課、管理課、営業課)を統括し、同部の職務全般について同部の従業員を指揮監督する権限を有していたのであるから、防火管理者であるとともに同部管理課長である被告人中村から欠勤した保安係員の補充要員又はテナントの工事の立会い要員を確保することの要請があれば、同部所属の他の従業員に立会いのため臨時の当直を命令することができ、また、そのような措置をとるべき義務があつたことは当然であり、被告人中村としても、自己の指揮監督する管理課の課員の中から臨時の当直要員を指定して工事に立会いさせることもできたことは明らかであり、原判決の前記判断は失当というべきである。

(二)  各注意義務と結果回避可能性

前記説示のとおり、被告人中村において前記各注意義務を履行することの可能性があつたのであるから、右各注意義務を尽くしておれば、三階での火災発生直後、三階の工事立会いの保安係員において、煙の発生により初期消火が不能と判断した時点で、直ちに工事のため開けておいたと考えられる二枚の防火区画シャッターを閉鎖し得たものと推認されるのである。そして、原審証人若松孝旺の供述(原審第四六回及び第四八回各公判)及び川越邦雄、若松孝旺、斉藤文春共同作成の昭和四八年三月二六日付鑑定書に、関係証拠によつて認められる千日デパート閉店後の各階出入口の防火シャッター及び防火扉の閉鎖、施錠状況を併せて考えると、千日デパート三階売場の防火扉や防火区画シャッターが全部完全に閉鎖されていたならば、本件火災による焼燬の範囲は同ビル三階の東側部分の防火区画内に限定され、その防火区画シャッターのすき間を通過してくる煙の量も少なく、「プレイタウン」店内に侵入する煙の主な経路は、同店専用の南側エレベーター昇降路のみとなつて、その流入速度、量とも著しく低く、また、出火後三〇分近くまでB階段を用いて避難することが可能であること(鑑定書には、A、B、E、Fの四階段を用いて避難することが可能である旨記載があるが、そのうち、A、Eの階段については、各階の出入口の防火シャッター及び防火扉が午後九時以降閉鎖施錠されているため、右両階段から一階を経て外部へ出ることができず、また、F階段については、さきに述べたとおり、同階段から一階売場を経て従業員専用出入口より外部へ脱出することは可能であるが、本件の場合のように、階下のどこで火災が発生したかを知らない「プレイタウン」在店者にとつては、階下で出火した場合、一階売場も火災となつている可能性もあつて、同階段を利用することは危険であるので、結局、本件火災の際にはB階段のみ利用可能と考えられる。)が認められ、「プレイタウン」の従業員や被告人髙木らが南側エレベーター昇降路から流入してくる煙に気付いて階下での火災の発生を覚知した上、一階保安室に電話をかけて火災の発生場所・その状況等を知り得る時間的余裕もあり、店内にいた客や従業員一八一名全員は、被告人髙木らの適切な避難誘導とあいまつて、B階段を利用することのみによつて、あるいはB階段と救助袋を併用することによつて、完全に避難し得たものと考えられ、本件死傷の結果を回避し得たことが認められるのである。

2  被告人桑原及び同髙木について

(一)(1)  同被告人らの各注意義務の履行可能性ないし結果回避可能性

「プレイタウン」店内に設置されていた救助袋の取替えないし補修すべき義務は、これを履行し得る可能性のあつたことについては、既に三の2の(三)(2)アにおいて説示したところであり、また、六階以下の階で火災が発生した場合を想定して避難計画を立て、これに従つて避難訓練を実施すべき義務も、被告人桑原において被告人髙木らを指揮監督し、被告人髙木においてその計画を立て、これに従つて実施すれば、これを履行することができたものであることはいうまでもないところである。そして、前記三の2(三)(1)の「六階以下の階で火災が発生した場合を想定して避難計画を立て、これに従つて避難計画を実施すべき義務」の項に説示したとおり、千日デパートビルの六階以下の階で火災が発生した場合、同ビル七階の「プレイタウン」店内にいる者にとつて同店から地上に避難できる安全な階段は、同ビルの構造上六階以下の売場から完全に遮断されているB階段のみであるところ(ただし、B階段等で出火して同階段自体に煙が充満するというような極めて例外的な場合を除く。)、前記二の4(二)(三)及び二の5(一)(二)に認定したとおり、被告人髙木は当日午後一〇時三九分ころ同店内北西側にある事務所にいた際、事務所の外で従業員らの騒ぐ声や物音を聞いて、直ちに事務所の扉を開けたところ、事務所出入口前にある換気ダクト開口部から煙が噴き出しており、西側にある更衣室への通路に既に煙が充満していて更衣室の方へは行けない状態にあり、更に右ダクト開口部から黒い煙が噴き出しているのを見た午後一〇時三九分過ぎころには階下で火災が発生していることを覚知し、客のいる店内ホールへ出たところ、ホール内にも薄く煙が立ち込めているのを見、さらにホールを通つてエレベーターの様子を見るため午後一〇時四〇分過ぎころアーチとクロークの中間付近まで行つたところ、クローク前やエレベーター前はいつもと比べ大分暗く感じ、その付近にも煙が流入しているのを覚知したこと、右時点での南側エレベーター昇降路から流入する煙の量はいまだ少量であつたことが認められるから、被告人髙木において平素六階以下の階で火災が発生した場合に備えての避難訓練等を実施していたならば、午後一〇時三九分過ぎころに北側換気ダクトの開口部から煙が噴き出すのを現認し、六階以下の階で火災が発生したことを覚知した時点で直ちに従業員らにその旨通報し、同人らをして客らをB階段へ避難誘導させる行動を開始し得たものであり、さらに、午後一〇時四〇分過ぎころにアーチとクロークの中間付近まで行き、その付近がいつもより大分暗く感じ、その付近にも煙が流入しているのを覚知した時点においては、店内の北と南の煙の状況からして、階下の火災のある程度の規模の大きさを知ることができ、事態の容易ならざることを覚知し得たはずであり、したがつて、遅くともこの時点において、直ちに従業員らを指揮してB階段への避難誘導を開始するとともに、設置されている救助袋(補修又は取替えをしたもの)を使用しての救出にも配意し、速やかに右救助袋の使用開始の準備を進めることが可能であつたと認められる。しかも、平素からの訓練が行き届いていたとすれば、その時刻ころにおける「ブレイタウン」のホールに流入した煙もさほど多量のものではなかつた状況に照らすと、指揮を受けた従業員らにおいても、比較的冷静、かつ、沈着に行動することが可能であり、B階段への避難誘導とともに救助袋の開披、投下に至る一連の作業は、手順どおり迅速に行い得たはずである。してみると、被告人髙木がこれらの行動を開始し得たと認められる午後一〇時三九分過ぎころ若しくは午後一〇時四〇分過ぎころ以降は、B階段への避難誘導に加え、右救助袋の投下作業に取り掛かることは十分可能であり、救助袋については、午後一〇時四三分ころには、消防隊員も相次いで現場に到着していたのであるから、地上での出口の把持を完了するまでには若干の時間を要したとしても(関係証拠上その所要時間は一、二分程度と認められる。)、同一〇時四四分ないし四五分ころまでには、これを降下可能の状態になし得たものと認められる。

そして、被告人髙木や従業員から客らに対して、B階段へ避難すべき旨の適切かつ明確な指示があれば、危急の事態に際会している客らとしてはこれに従つて安全な場所を求め、当然煙を突つ切つてでもクロークへ向かうことになると考えられるのである。ところで、クロークの出入口は幅六五センチメートルしかないのであるが、当審における事実取調べの結果によれば、本件クローク出入口とほぼ同一条件の電車改札口における午前八時台の混雑時の乗客通過人員を調査した結果によると、通路幅員が五五センチメートルの改札口において、一分間に平均六〇名ないし七〇名の乗客が通過し得たことが認められ、右事実に照らすと、本件クローク出入口は、右改札口よりその幅員において一〇センチメートル広いが、本件は夜間の火災時における非常事態であり、客らも飲酒していることなどを考えると、電車改札口の乗客通過人員と同列には考えられないものの、少なくとも、その半分程度の毎分三〇分ないし三五名くらいの人数の通行は可能であつたというべきであり、クローク付近に多量の煙が流入する以前はもとよりのこと、その後その付近に煙が充満して来た段階においても、被告人髙木らの明確な指示があれば、大きな混乱が起こることなくB階段への避難誘導は可能であつたと認められる。そして、B階段への避難誘導は、飯田和江がF階段の防火シャッターが開けられて大量の煙が店内に流入してきた午後一〇時四八分ころから二、三分経過した午後一〇時五〇分ないし五一分ころ、クロークを通り抜けB階段へ出て地上に脱出していること、その受傷も加療約八日間を要する急性咽頭炎の程度であつたことからすると、午後一〇時四〇分過ぎころから少なくとも、「プレイタウン」店内の照明が停電により消えた午後一〇時四九分ころまで(それ以降も右飯田が脱出するころまでは、懐中電灯を使用するなどすれば、右避難誘導は不可能ではない。)は、可能であつたと考えられ、したがつて、後述の更衣室に在室していたホステスら一一名を除くその余の「プレイタウン」在店者のほぼ全員をB階段から安全に避難させることができたものと認められる。

もつとも、さきに認定したとおり、ボーイの本泉正一が、午後一〇時四二、三分過ぎころ被告人髙木からA階段の出入口の扉を開けるよう命ぜられ、右扉の鍵を取りにクロークの方へ二、三度行こうと試みたが、次第に増量かつ濃密化して来た煙にはばまれてクローク内に入ることを断念したことに照らすと、そのころにはもはやB階段への避難誘導は不可能ではなかつたかと一応考えられないではないが、前記のとおり飯田和江は、その八、九分後に無事クロークを通り抜けてB階段へ出ているのであつて、同女がしたように、あるいは、被告人髙木の保管にかかる「防火管理の知識」という冊子が説明するように、姿勢を低くして、ハンカチ等で口や鼻を覆い呼吸を少なくしてクローク内を通り抜けてB階段へ行くように、被告人髙木らにおいて客らに明確に指示して避難誘導を行つていたならば、少なくとも、停電のころまではクロークからB階段への避難誘導は可能であつたと考えられる。このことは、昭和五九年四月四日発生した大阪科学技術センタービル火災において、適切な避難誘導が実施されたことにより、ビル内に滞在する者全員が無事脱出し得た事例によつても裏付けられる。すなわち、当審における事実取調べの結果によれば、この火災は、鉄筋コンクリート造、地上九階、地下二階、塔屋三階建、延床面積約一二、四八五平方メートルの同ビル三階廊下から異常音響とともに出火し、同階四七三平方メートルなどを焼損し、猛煙がビル内に充満したものであるところ、出火当時同ビル内にいた六七九名は、うち八名が一酸化炭素中毒等の軽傷を負つたのみで全員が無事避難し得たのであるが、この事故に関し、大阪市消防局において火災時の在館者中四五三名から火災の覚知状況、火災を覚知してからの行動、廊下、階段からの避難行動及び救出されるまでの状況について回答を得るなどして調査、研究を行つた結果によると、出火後速やかに防火管理者において非常放送設備を用いて「三階で火災です。中央階段を利用せず、東階段から避難して下さい。」との避難放送を行い、この放送を二二四名(回答者中の約四九パーセント、以下同じ)が聞いており、そして二六三名(同約五八パーセント)の者が同階段から避難したこと、しかも煙が充満して全く前が見えないか、あるいは数メートル先までしか見えない状態で避難した者が二一九名(同約四八パーセント)にのぼつていること、適切な避難放送、避難誘導が行われたことにより、火災発生を知つて恐怖心を抱いた者は一五四名(同約三四パーセント)にのぼつたものの、恐慌状態に陥り、重大な結果をもたらすという事態には至らなかつたことなどの事実が認められ、右事例は、昼間の火災であつたとはいえ、防火管理者において避難階段を明示し、避難誘導が適切に行われたならば、煙が充満した経路を突つ切つてでも避難し得ることを実証したものといえるのである。

また、司法警察員作成の昭和四八年七月一〇日付捜査報告書(記録七一一二丁ないし七一一六丁)によれば、実際に救助袋を使用しての実験結果によると、実験中の事故防止に配慮して、一番要員が降下を開始して救助袋の中央部に達した時点で、二番要員の降下を開始させるというような十分な安全間隔を保持した上で実施した降下実験においても、一分間に二〇人くらいの降下が可能であることが認められるところ、危急の場合において、従業員の適切な指示と介添えがあつたとしても、なおそのとおりの降下が可能であるかは疑問もあるので、これを控え目にみてその半分程度の人数の降下が可能であるとして、本件においては、一分間当たり少なくとも一〇人程度は降下可能と認められるから、数分間で在店する客らの相当数を避難させ得ることが認められるのである。

以上のとおり、被告人桑原及び同髙木において前記三の冒頭に記載した注意義務を尽くして、千日デパートビルの六階以下の階で火災が発生した場合には、通常は唯一安全な避難路であるB階段へ客らを速やかに避難誘導させるとともに、適正に維持管理された救助袋を使用するなどの方法により、「プレイタウン」店内に在店する客らの安全を確保するための消防避難計画を策定し、これによる避難訓練を実施していたならば、本件火災が発生して煙が「プレイタウン」店内に侵入した際に、同店内にいた被告人髙木において、平素の訓練の成果を発揮して、速やかにB階段への避難誘導、救助袋を使用しての避難等、危急に際しての適切な措置をとることができ、後に判断する更衣室にいた別表一の番号17ないし25及び別表二の番号7、8の一一名を除いたその余の本件「プレイタウン」在店者全員は、B階段からの避難誘導に加え、救助袋による避難方法が併用されることによつて、安全に避難し得たことが認められるから、右更衣室にいた一一名を除くその余の本件被害者(死亡一〇九名、受傷四〇名)の死傷の結果を回避し得たものと認められるのである。

(2) 原判決の説示及び弁護人らの所論に対する判断

ア B階段への避難誘導に関して

原判決は、「本件火災当時、死傷者を出すことなく「プレイタウン」店内から避難することが可能であつたか否かについてみるに、既に説示したところから明らかなように、同店内から利用可能な階段のうち、E、Fの各階段には煙が充満していたのであり、A階段も、二階出入口の東西に一枚ずつある防火扉の上部の壁が、いずれも本件火災により約一平方メートルにわたつて落下したため、そこから煙が内部に流入し充満したことが認められるのに対し、B階段のみは、煙が出火階から直接流入して充満することはなかつたことが認められ、現に飯田が午後一〇時五〇分ないし五一分ころクロークを通り抜けてB階段を降りていることを考慮すると、ともかくも、クロークさえ無事通り抜けることができれば、そのころまではB階段は通行可能であつたと認めることができる。そして、B階段が構造上千日デパートの売場から遮断されていることは前記のとおりであり、かつ、救助袋も「プレイタウン」の従業員の手によつて降下され、地上で把持されていたことに照らすと、被告人髙木が防火管理者として、平素からB階段の状況を把握し、六階以下の階で出火した場合の安全な避難路としてはB階段しかないことを十分認識して、折に触れ同店の従業員に対しそのことを教え、たとえクロークの辺りに煙が充満していても、そこを突つ切つてB階段から避難するよう指導、訓練するとともに、救助袋の使用方法を従業員に対し周知徹底させ、少なくともその投下訓練さえしていれば、本件火災による煙が「プレイタウン」店内に流入し始めた午後一〇時四〇分ころから午後一〇時五一分ころまでの間に、B階段と救助袋とを利用して同店内にいた者全員を地上まで無事避難させることができたのではなかろうかと一応考えられないではないのである。」としながら、種々理由を挙げた上、「被告人髙木が仮に六階以下の階で火災が発生した場合を想定して、避難路等について十分調査検討のうえ避難訓練を実施していたとしても、右の場合に同被告人が立てたであろうと考えられる前記のような避難計画を前提とすれば、エレベーターの昇降路から多量の煙が噴き出して、クローク内を初め付近一帯に充満しているという予想外の状況に直面して、煙の中を突つ切つてでもホール内にいる者らをB階段へ誘導するほかないとの判断を寸刻の間になし得て、同階段への誘導を指示することが、同被告人と同様の立場にある何人をその立場に立たせても、果たして可能であつたか大いに疑問の存するところであり、また、仮に右誘導を指示していたとしても、本件死傷者の全員が無事B階段から脱出して、本件死傷の結果を回避し得たかは甚だ疑問であるといわざるを得ない。」として、被告人両名につき結果回避可能性を否定したが、右説示は、以下に述べるとおり、事実を誤認し、その判断を誤つたもので失当である。すなわち、

(ア) 被告人髙木がB階段からの避難計画を立てることの可能性

原判決は、「被告人髙木が、六階以下の売場から出火した場合の避難計画を立てるとすれば、ホール出入口からクロークに至る通路には多量の煙が充満することはないとの前提の下に、その案を練ることになると思料されるのである。したがつて、同被告人が、前記のとおり防火管理者としての業務を忠実に遂行して、六階以下の売場から出火した場合の避難計画の立案をしておれば、従業員に対して避難の指導もしくは訓練をする場合も、六階以下の売場から出火しても、B階段は安全であり、ホール出入口からクロークを通つてB階段に行くまでの間もA階段やエレベーターの方から煙が多量に侵入してくることはないから、落ち着いて行動するように教えたものと考えられる。」とした上で、「もつとも、同ビルの六階以下の階で火災が発生した場合に、その発生場所いかんによつては、「プレイタウン」店内へその専用エレベーターの昇降路から煙が侵入することも全く予想し得ないわけではないが、エレベーターの昇降路の壁に欠陥のないこと及び地下一階の同店専用エレベーターホールと売場との間の防火扉が閉まつていることを前提にして考えると、それは、同店専用の地下一階のエレベーターホールもしくは一階出入口において火災が発生し、その煙がエレベーターの昇降路を通つて七階に達する場合である。しかし、同所にある可燃物の状況からみて、それほど多量の煙が七階に達することはないと思料されるが、その場合にも地上への避難を考えるとすれば、B階段の一階出入口の板戸や付近の板壁が燃えていることも予想され、かつ、消防当局は、避難については火元から遠い方に避難するといういわゆる二方向避難ということを指導していることに照らすと、この場合は、F階段を利用して一階売場へ行き、そこから従業員専用出入口を通つて屋外へ避難するのが最適の方法であるということになり、結局、同被告人が防火管理者として、六階以下の階で火災が発生した場合の避難計画を立てたとしても、煙の来る方向に向かつて逃げるという発想が浮かんだとは考え難く、煙がいかなる方向から来ようともB階段から避難するとの避難計画を立てることはできないものといわざるを得ない。」旨説示する。

しかし、原判決の右説示部分は、原判決が被告人桑原及び同髙木の具体的な注意義務の項で挙げている「六階以下の階で火災が発生した場合でも、「プレイタウン」が他の階から完全に遮断された機密構造になつていない以上、同店内に煙がどこからか流入して来るおそれがあるから、煙の具体的な流入経路や速度については分からないまでも、とにかく速やかに客や従業員を避難させる必要がある。」、「六階以下の売場で出火した場合、一階売場も火災となつていることは十分考えられるから、F階段を利用して避難することは危険である。」及び「六階以下の売場で出火した場合には、その時刻のいかんを問わず、A、E、Fの各階段を避難路とするのは危険であり、B階段こそ安全確実に地上に避難できる唯一の階段であるとの結論に被告人髙木自身が到達することは十分可能であつた。」との各認定と矛盾しているばかりか、「煙がいかなる方向から来ようともB階段から避難するとの避難計画を立てることはできない。」との説示についても、被告人髙木としては、むしろ六階以下の階で火災が発生した場合、「プレイタウン」が他の階から完全に遮断された機密構造になつていない以上、その煙があらゆる経路を経て「プレイタウン」内に流入するおそれのあることを予測し、通常は唯一安全な避難路であるB階段への避難誘導計画を策定しておけば足り、またこれ以外にはないのであつて、煙がいかなる方向から来ようともB階段から避難するとの避難計画を立てることはできないとする原判示は相当でない。しかして、本件のように専用エレベーター昇降路付近から煙が流入充満する事態に直面し、仮にそれが予想外の事態であつたとしても、B階段こそは、ビルの構造上各売場とも完全に遮断されていて、通常は唯一安全な避難路であることは何ら変わりはないのであるから、B階段への避難誘導を断念すべき理由は全く見出し難いのである。また、消防署の指導上言われる二方向避難というのは、あくまで基本的に安全性の高い避難経路を常に二方向以上に確保した上、火災が発生した場合、その状況によつて安全確実な方向に避難するような体制を整える必要があることを言うのであつて、「プレイタウン」のように、六階以下の階で火災が発生した場合、B階段こそが通常は唯一安全な避難階段であるときには、二方向避難の前提を欠くのであつて、たとえB階段の方向に煙が流れていたとしても、同階段から煙が流入し、あるいは同階段自体に煙が充満していたわけではないから、当然B階段に避難誘導すべきであり、この点の原判決の判断には誤りがあるというべきである。

しかも、本件火災の場合のように、北側換気ダクト開口部からの煙のほか、クローク前やエレベーターの前にも煙が流入していたとすれば、むしろ六階以下の階での火災がある程度規模の大きなものであることが十分予想されるので、仮に的確な避難計画を立てていたとすれば、B階段への避難誘導とともに当然救助袋による避難にも全力を注ぐことになるはずで、最も危険度の高いF階段に誘導するのが最適の方法であるなどというような無謀な発想は起こり得ないものといわなければならない。

これを要するに、原判決の避難計画に関する判断は、被告人髙木らにおいて現実には消防避難計画について右のような検討を全く加えておらず、何らの避難計画も立てていなかつたのであるから、仮定論を前提とするものである上、その内容自体にも矛盾や誤りがあるといわなければならない。

(イ) 本件火災時における被告人髙木のB階段への避難誘導の可能性

原判決は、「被告人髙木がホール入口のアーチを通り抜けてクローク付近まで行つたのは、エレベーターの昇降路から多量の煙が噴き出し始めた直後であつたと認められるから、既に従業員らを配置して避難誘導に当たらせることは困難な状態になつていたといわざるを得ない。したがつて、被告人髙木やその場にいた従業員が、客に逃げる方向を指示するとともに、先導してその方向に客を誘導するほかはないのであるが、綿密な調査検討の上で、B階段を避難路とする場合、同被告人はアーチより南側には避難に障害となるほど多量の煙が流入しないとの前提で避難計画を立てていたはずであるから、余りにも多量の煙がエレベーターの昇降路から流入するという予想外の出来事に直面した同被告人が、なお安全な避難路はB階段しかあり得ないとの判断を即座になし得てこれに対処し得たとは考え難い。仮に、このような判断をなし得て客や従業員に対しB階段に避難するよう指示をしたとしても、アーチより南側には煙が充満している状況のもとでは、客や従業員、特にクロークからB階段に至る経路の状況について全く不案内の客らが、直ちにクロークを通り抜ければ安全であると信じて混乱なく行動を起こすかは疑問であり、また仮に数名がクロークの方へ煙を突つ切つて向つても、それにつられて大勢の者が一時に殺到することも考えられ、被告人髙木らがこれを押さえきることは極めて困難であり、クロークの出入口は幅が六五センチメートルしかなく、しかも付近には煙が充満しているのであるから、クロークの出入口付近で大混乱が生じることは必至であり、全員が無事にクロークを通り抜けてB階段に達し地上まで避難し得たかは甚だ疑問であるといわざるを得ない。」旨説示する。

しかし、この点についても、被告人髙木は消防避難計画の策定、避難誘導訓練を全く行つていなかつたのであるから、右判示は仮定論を前提とするものである上、右説示の内容そのものも以下に述べるとおり、誤りがあるといわなければならない。

まず、原判決は、被告人髙木が六階以下の階で火災が発生したことを覚知し、クローク付近まで行つた時点での同所における状態がどうであつたかを検討し、それを前提としてB階段への避難誘導の可能性を論じているのであるが、そもそも、被告人髙木が千日デパートビルの六階以下の階で火災が発生した場合、通常はB階段こそ唯一安全の避難路であることをあらかじめ認識把握して避難計画を立て、これに従つて避難訓練をしていたならば、同被告人が事務室を出て、北側換ダクト開口部から黒い煙が噴き出しているのを現認した午後一〇時三九分過ぎころの時点で階下で火災が発生したことを覚知し、かつ、その時点で右煙のために近くにある更衣室へも行くことができない状態にあつたのであるから、直ちに従業員を指揮して客らをB階段から避難させる等の行動を開始すべきであり、当然、この時点におけるクローク付近の状態がどうであつたかを検討し、これを前提にして判断すべきである。しかして、この時点では、エレベーター昇降路から流入する煙はいまだ少量であり、その三、四分後の午後一〇時四二分ないし四三分ころになると、右エレベーターの昇降路から噴き出す煙も急激に増加し、次第に付近一帯に充満したとはいえ、ホールからクロークを経てB階段への出入口に至る通路全体に煙が充満して視界を妨げられるまでにはなお若干の時間を要したであろうことも考慮に入れると、被告人髙木は、階下で火災が発生したことを覚知した午後一〇時三九分過ぎころ、あるいは、遅くとも同被告人がクローク付近に到着し、自ら又は従業員を使つてB階段の煙の状況をも確認し得たと認められる午後一〇時四〇分過ぎころから、従業員を適宜の場所に配置してB階段への適切な避難誘導を開始し得たはずである。しかるに、同被告人は、B階段の安全性を全く認識していなかつたために、的確な避難誘導の行動を開始し得ないまま、漫然クローク付近に赴き、同所でしばらくその付近の様子を見ているうち、エレベーター昇降路からその付近一帯に流入している煙が次第に増量して付近が徐々に暗くなつて来たことから、ようやく従業員の避難を考えるに至り、近くにいた従業員に電気室から懐中電灯を取つてくるように指示し、右従業員が電気室へ行つて戻り、懐中電灯を見付けることはできなかつた旨報告するのを待つてレジ付近まで戻り、本泉らに指示してA階段の出入口の扉を開けさせようとしたのであり、同被告人の避難誘導の行動は、方法において誤りがあつたのみならず、その着手が著しく遅延したものというべきである。

次に、原判決は、被告人髙木がクローク付近に至つたとき、クローク付近はエレベーターの昇降路から多量の煙が急速に噴き出した直後であつたとし、同被告人がB階段を避難路とする避難計画を立てていたとしても、この予想外の事態に直面して、なおB階段への避難誘導を決断し得たとは考え難いと説示するが、被告人髙木がクローク付近に至つたのは、前記のとおり午後一〇時四〇分過ぎころであり、その時点におけるクローク及びその南側付近の状況は、さきに詳しく認定したとおり、ホステス長野加代子が南側エレベーターの床と昇降路のすき間から真つ白な煙が立ち上つてきたのを見て火事と気付き、ボーイの本泉昭一、同片岡正二郎、同新田秀治らが、同エレベーター昇降路からの煙を見て、右エレベーターの故障が原因ではないかと思いエレベーターを止めて点検しようとしていたのであり、また、バンドリーダー高平勇はエレベーター昇降路からの煙を見たものの、大した火事ではないと判断してその場からホールの方へ引き返しているのであり、この時点では、いまだ煙の流入状況は少量であつて、その後の午後一〇時四二、三分ころ、右エレベーター付近からクローク付近にかけて多量の煙が流入し始めたのであるから、被告人髙木がクローク付近に到着したのは、右多量の煙が流入する以前であつたことが明らかである。したがつて、被告人髙木がクローク付近まで行つたのは、エレベーターの昇降路から多量の煙が噴き出し始めた直後であつたとの誤つた事実認定を前提にB階段への避難誘導を決断することは困難であつたとする原判決の判断は明らかに失当であつて、右のとおり、被告人髙木がクローク付近に至つたときは、B階段への避難誘導に何ら支障のない状態であり、この時点で明確な対処を怠つたことは同被告人の落度であるというべく、さらに、その後エレベーターの昇降路から多量の煙が流入し始めた状態においても、なおB階段への避難誘導を行うことは可能であり、これを断念したとすれば、それ自体が同被告人の落度であるというべきである。もともと「プレイタウン」においては、六階以下の階で出火した場合の安全な避難路は通常はB階段しかないのであるから、エレベーター昇降路から煙が流入したとしても、B階段自体からも煙が流入するというような異常な状況にない限り、クロークへ進入する経路が煙により遮断されるまでの間は万難を排してB階段へ避難誘導すべきであり、もし的確な避難計画を立て避難訓練をしていたならば、寸刻の間にそのような判断をなし得たはずであり、それができないということは、すなわち右のような避難計画を立て訓練を行うことを怠つていたことによるものであつて、B階段からの避難誘導を決断することが困難であつたとする原判決の判断は到底肯認できない。

さらに、原判決は、客や従業員に対しB階段に避難するよう指示したとしても、当時の状況では、大きな混乱が起きて避難できたか否か疑問であるとする。しかし、この点については前記四の2(一)(1)において説示したとおり、本件のような危急の事態に際会した場合、群集は、指揮者の適切かつ明確な指示があればこれに従つて安全な場所を求め危険をも省みず行動することは群集心理の常識ともいうべきであり、このことは、証人瀬尾理の当審公判廷における供述からもうかがわれるところであるから、被告人髙木や従業員の明確な指示さえあれば、大きな混乱が起こることなくB階段への避難誘導は可能であつたと認められる。ただ、本件の場合には、実際にホールからの出入口であるアーチ付近は、ホールへ向かう者とクロークへ向かう者とが衝突し、混乱した状況にあつたことが認められるが、しかし、これは被告人髙木らが適切な避難誘導を迅速、的確に行わず、専用エレベーター前ホールに出て来る客をA階段から避難させようとしたり、クロークに誘導しようとする者と逆にこれを押しとどめる者とがあつて、避難誘導に当たるべき従業員の指示が混乱したことによる当然の結果である。客の越部や北川が、被告人髙木に対し「自分で案内して行かんかい。先に連れて行かんかい。」等と怒号していたことを見ても、結局被告人髙木らが適切な避難誘導をなし得なかつたがため店内が大混乱状態に陥つたものであり、同被告人らによる適切、かつ、明確な避難誘導を受け、すべての客らがB階段に向け一つの流れとなつて避難していたとするならば、火災という非常事態のため多少の混乱が生じたとしても、クロークの出入口付近に殺到して大混乱を来たし、避難誘導を不可能にするという事態に立ち至つたとは考えられない。

(ウ) 従業員本泉昭一らによるB階段への避難誘導の可能性

原判決は、「本泉らは、午後一〇時四〇分ころ、エレベーターの昇降路から煙が流入し始めたのに気付いているのであるが、被告人髙木がアーチより南側にやつて来るまでに換気ダクトの開口部から煙が噴き出していることを知り得たとは認められないから、仮に、六階以下の階で火災が発生した場合の避難訓練を受けており、直ちに避難誘導に取り掛かつたとしても、この場合はB階段ではなく、F階段を避難路にすべきものと考えたであろうから、やはり本件の場合と同じように客や従業員をB階段に誘導せず、むしろアーチより南に出て来る者があればホールに戻るように指示し、これを押しとどめたものと思料される。」旨説示する。

しかしながら、前記のとおり、被告人髙木は、既に午後一〇時三九分過ぎころには北側換気ダクトの開口部から煙が流入するのを現認し、六階以下の階で火災が発生したことを覚知していたのであるから、この時点で直ちに右本泉ら従業員にその旨通報し、同人らをしてB階段への避難誘導を指示すべきであり、また指示し得たはずである。そして、同被告人が平素の消防訓練等により従業員の指導を徹底しておれば、右本泉らにおいても、被告人髙木からの右通報により六階以下の階で火災が発生したことに気付いた時点において、速やかに客らを煙の流入していない唯一安全な避難路であるB階段に誘導していたものと認められ、エレベーター昇降路から煙が流入して来たからといつて、最も危険であるF階段を避難路と考えたり、ホールからアーチを通り抜けてクロークに向かう人達を押しとどめるなどの無謀な行動に出るはずはなく、したがつて、またクローク付近における異常な混乱状態を招くこともなかつたことは明らかであつて、原判決の右説示は失当である。

(エ) B階段の安全性

弁護人らの所論は、B階段の一階入口は木製の戸であり、また、地下一階の「プレイタウン」専用エレベーターホールと飲食店街とはドア一枚でつながつており、仮に、右飲食店街から出火し右エレベーター前のドアが開いていたとすれば、B階段も閉鎖された煙突状の構造であるから、火や煙がB階段に入り、煙が充満して同階段が使用不能となることが十分想定されるのであり、現に、以前にB階段下の前記エレベーター前でボヤが発生したこともあるから、B階段が常に唯一安全な避難階段ではあり得ない旨主張する。しかしながら、さきに認定したとおり、地階の「プレイタウン」専用エレベーターホールと千日デパート売場との間の鉄扉、また、二階ないし六階のB階段の付属部分となつている通路と右各売場との間の鉄扉は常時閉鎖されているため、地下一階の右売場内にある飲食店街から出火したとしても、右エレベーターホールを通じてB階段に火や煙が入る可能性はなく、B階段に火や煙が入るとすれば、それは右エレベーターホールか一階の「プレイタウン」専用出入口あるいはB階段で出火し、その火や煙がB階段を通じて上昇する場合しか考えられないところ、関係証拠によれば、確かに昭和四二年一〇月一六日午前一時三三分ころ(「プレイタウン」の営業時間外)に地下一階の「プレイタウン」専用エレベーター入口前のソファがたばこの火で一部焼損するというボヤが発生したことがあり、また、本件当時右ソファは存在しなかつたものの、右エレベーターホールには天井の飾りモールやちようちん類が、一階の「プレイタウン」専用出入口には床に敷かれたじゆうたん、ビロードカーテン張り板壁やB階段へ通じる板戸などが、さらに、二階から七階までのB階段には同階段に置かれた古木材、ダンボール箱などの可燃物が存在したことが認められ、これらの事実からすると、B階段等で出火してこれらの可燃物が燃えるという事態も予想されないではないが、右証拠によれば、これらの可燃物の量はそれほど多くはなく、また、「プレイタウン」の営業時間中は右一階出入口の扉は広く開けられていて、道路に面していることが認められることからすると、右可燃物が燃えてB階段の安全性を左右するほどの火や煙が同階段に入り、あるいは充満するという可能性は極めて少ないといわなければならない。したがつて、六階以下の階で火災が発生した場合において、B階段は、右に述べたように同階段等で出火して煙が充満するという極めて例外的な事態が発生しない限り、通常唯一安全な避難階段であるというべきであるから、所論は採用できない。

イ 救助袋による避難行動に関して

原判決は、被告人両名について、救助袋の整備を怠り、救助袋を使用しての避難訓練を行つていなかつた義務違反を認めながら、救助袋による避難の可能性を否定して、被告人両名の過失責任を否定したが、原判決の右判断は、以下に述べるとおり、事実を誤認し、その判断を誤つたものというべく、失当である。

(ア) 救助袋の避難方法としての位置付け

原判決は、右指導訓練の内容について、「消防当局が火災の場合の避難方法としては、あくまでも避難階段を利用しての避難を優先すべきであつて、救助袋は本来の避難路から逃げ遅れたごく少数の者を対象とした補充的な避難方法であるにすぎないとの考え方に立つていたことがうかがわれるので、消防署係官の指導がなされたとしても、その線に沿つた内容の指導にとどまつたであろうと考えられることなどから、本件のようにB階段へ通ずる通路及びその余の避難階段がいずれも煙のため現実には避難路となり得ず、在店者のほとんどが、一個の救助袋若しくは消防署のはしご車に頼つて避難せざるを得ないような場合を想定した避難訓練までなし得たとは到底考え難い。」旨説示する。

なるほど、火災の場合の避難手段としては、避難階段を利用しての避難が優先されるべきであつて、救助袋による避難方法が補完的なものであることは原判決指摘のとおりであり、したがつて、消防署の指導訓練においても、原判決がいうような「全階段が使用不能になつた場合を想定した指導」などというものはもともとあり得ず、もし、防火対象物が右のような状態で、全く避難階段も使用不能であるとするならば、まさしくこれは欠陥対象物というべきで、消防署は、まず安全な避難通路の確保について指導するはずであり、避難路が全く確保されていないことを前提に救助袋による避難訓練を指導するなどということはなく、しかも、前記のとおり、現実にはB階段へ通じる通路は十分避難路となり得たのであるから、全階段が使用不能になつた場合を想定しての訓練指導の有無を論ずる原判示は、その前提において誤りがあるといわなければならない。

要は、救助袋の使用方法についての指導訓練を受け、有事の場合これを使用し得るように訓練をしておきさえすれば、それで足りるのである。

(イ) 本件火災時における救助袋による避難行動の可能性

原判決は、被告人桑原、同髙木がそれぞれ前記の注意義務を尽くし、救助袋の取替え若しくは補修をし、これを使用して前記の程度の訓練をしていたとしても、本件では、救助袋による避難可能性を認めることは困難だとしてその可能性を否定したが、この点については、前記2(一)(1)に説示のとおり、右注意義務を尽くしておれば、B階段からの誘導に加え、右救助袋による避難方法が併用されることによつて、更衣室にいたホステスら一一名を除くその余の在店者全員が安全に避難し得たものというべきであり、これを困難ならしめる特段の事情は認められないのであつて、原判決が、救助袋による避難可能性ないしは本件の因果関係を否定する根拠として挙げる諸事情は、次に述べるとおり、いずれも失当である。

まず、原判決は「被告人髙木が、アーチを通り抜けてクローク付近に行つた午後一〇時四二分ころからF階段へ向かつた午後一〇時四四、五分ころまでのわずか二、三分間のうちに、救助袋による避難しかあり得ないとの状況判断をなし得たかは極めて疑わしく、このことは他の従業員についても同様で、塚本一馬ら一部従業員らは午後一〇時四四、五分ころには既に救助袋の設置されてある窓際に行つているが、それは、たまたま窓を開けようということで窓際に行つたところ、偶然救助袋を見つけたことであつたと推認するのが相当である。」旨説示している。しかし、前述のとおり、被告人髙木は、午後一〇時三九分過ぎころ若しくは午後一〇時四〇分過ぎころ以降は、B階段からの避難誘導と同時に、救助袋による避難方法についても意を用いることは十分可能であつたのであるから、判断の時間を原判決のいうように午後一〇時四二分以降(なお、同被告人がクローク付近に赴いた時刻は午後一〇時四〇分過ぎころであり、これを午後一〇時四二分ころと認定した原判決が事実を誤認したものであることは、既に述べたとおりである。)に限定すること自体が誤つているばかりか、救助袋の投下作業を決意するについて、救助袋による避難しかあり得ないと判断した場合にのみ行われるとの前提自体が誤つているというべきである。そもそも、被告人髙木において千日デパートビル六階以下の階で火災が発生したことを覚知した時点あるいは同被告人がクローク付近に到着した時点で、直ちに従業員を指導して避難階段への誘導とともに、救助袋を投下して避難路を確保すべき注意義務を忠実に履行していたならば、前記のとおり、いまだエレベーターの昇降路からは、さほど煙が流入しておらず、また、在店者も混乱状態に陥つていなかつた段階において従業員を救助袋設置の部署につけ、救助袋の投下作業を開始することは十分可能であつたことは明らかであつて、避難するための時機を失して混乱状態に陥つた後の状況を前提として、その可能性を否定する原判決の右判断には重大な誤りがあるといわなければならない。また、従業員においても、平素から避難訓練を受けておれば、被告人髙木の指示を待つまでもなく、クローク方面からの煙の流入に気付いた時点で、自発的に救助袋の投下作業に取り掛かつているはずであり、電気係主任塚本一馬らが、たまたま窓際に行つて救助袋を発見したというがごときは、まさに被告人髙木が消防計画の策定、避難誘導訓練を全く怠つており、そのため適切な指示が全くなされていなかつた事実を裏付けるものというべきである。

次に、原判決は「救助袋を使用して降下可能の状態になつたのは、本件の場合よりもせいぜい一分程度早い午後一〇時四八分ころであつた。」旨説示するが、これは、原判決によれば、たまたま窓際に赴いて救助袋に気付いたと推認される一部従業員らの手によつて右救助袋の投下が開始されたのが午後一〇時四六分ころであつたことを前提とするものであるところ、被告人髙木の指示が徹底し、あるいは従業員に対する避難訓練ができておれば、更にそれよりもずつと早い時刻から右救助袋の投下作業が可能であり、遅くとも午後一〇時四四、五分ころまでには救助袋を降下可能の状態になし得たことは前述のとおりであるから、その前提そのものが誤つているばかりか、仮に、救助袋の投下作業が遅れたとしても、被告人髙木がクロークの前からホールに引き返した時点において、直ちに救助袋の投下作業を指示しており、また救助袋が正常に使用できる状態に整備されており、かつ、従業員が取扱いを知つていたならば、遅くとも午後一〇時四五、六分ころには避難が可能であつたと認められるのであつて、こうした前提を無視した原判決の判断は誤りであるというほかはない。

また、原判決は、被告人髙木が午後一〇時四四、五分ころに至つて救助袋による避難誘導を決意し、従業員に対し客を救助袋が設置してある窓際に誘導するように指示した場合を想定した上、「① その時刻ころには、ホール内に残つていた一五〇名位の客、従業員らもE階段、F階段、ホール窓際を目指してそれぞれ避難行動を開始していたのであり、ホール内には煙が充満しつつあつたというような状況のもとで、右のような指示がなされたとしても、酔客が多い上、この時点ではほとんどの従業員、客らが理性的に行動し得るような心理状態にあつたとは認め難いから、統制のとれた避難誘導は極めて困難であつたと認められ、仮に、ホール内のほとんどの者が右窓際付近に詰めかけたとしても窓際一帯は大混乱に陥つていたと認められる。② 楽団室、ボーイ室は、F階段のシャッターが開くまでは、ほとんど煙が流入していない安全な場所であつたことにかんがみると、これらの部屋にいた者らは、被告人髙木の指示があつたとしても、ホール内の煙、窓際における混乱状況を見た場合、果たしてホール窓際に出て行つたか疑問なしとしない。」旨説示して救助袋の設置された窓際への誘導の可能性を否定している。

しかし、原判決の右判断は、被告人髙木が午後一〇時四四、五分ころに至つて救助袋による避難誘導を決意した場合を想定している点にまず重大な誤りがある。前述のとおり、同被告人は午後一〇時三九分過ぎころには六階以下の階で火災が発生したことを覚知しているのであるから、同時刻あるいは同被告人がクローク付近に到着した午後一〇時四〇分過ぎころ、直ちに避難誘導の指示など適切な行動を開始し得たはずであつて、これを怠り、時期を失して混乱状態に陥つた後の状況のもとにおける避難誘導の可否を論ずることは、全くその前提を欠くものというべく、右原判示の内容について一々検討を加えるまでもなく、右原判示は失当というべきである。

さらに、原判決は、「以上のような状況下において、仮に救助袋の入口が開き、午後一〇時四八分ころ、これを使用して降下が可能な状態になつていたとしても、降下所要推定時間、ホール内における致死限界推定時間等を総合して考察すると、ホール内にいた一五〇名と楽団室及びボーイ室にいた者ら全員はもとより、ホール内にいた一五〇名くらいの者全員が右救助袋を利用して無事地上に脱出し得たとは考えられない。」旨説示し、その根拠として、具体的個別事情を挙げて種々検討を加えているが、原判決の右判断は、まず救助袋の使用開始可能時刻を午後一〇時四八分ころと認定している点で誤つている上、そもそも救助袋による避難はあくまで補完的なものであり、本来、B階段を利用して適切な避難誘導がなされるべきであつて、それは店内が停電した午後一〇時四九分ころまでは可能であつたこと、そして、右B階段への避難誘導のほか、これを補完するものとしての救助袋による避難方法を併用することにより、更衣室にいたホステスら一一名を除く在店者全員が安全に避難し得たことは前述のとおりであるから、右救助袋のみによる全員の避難救助の可能性を論ずる右原判示は、根本的な誤りがあり、原判決がその根拠として挙げる具体的個別事情を検討するまでもなく、原判決の右判断は失当である。

ウ 救助袋による避難方法の補完性に関して

弁護人らの所論は、消防署の指導においては、救助袋は補助的用具とされ、可能な限り階段から脱出し、それでもなお残るときに救助袋の使用が考えられているから、火事を覚知すれば、まず、階段による避難を考え、それも無理となつて、次に、救助袋を使用することになるのであつて、いくら訓練を重ねても、状況を判断せずに直ちに救助袋を投下するなどということにはならない旨主張する。しかしながら、火災の場合の避難方法として、避難階段を利用しての避難が主たるものであつて、救助袋による避難方法が補完的なものであることは所論のとおりであるが、補完的、補助的な避難方法であるといつても、避難階段が使用不能となるまで救助袋を使用してはならないというものではなく、要は、在店する者の生命、身体の安全を守るための手段であるから、火災の状況、避難を要する人の数や状態等に照らして、最も有効にその使用がなされるべきであることはいうまでもなく、したがつて、事態によつては、火災を覚知後、速やかに避難階段への避難誘導と併行して救助袋の使用を開始すべき場合もあるというべきである。これを本件についてみるに、被告人髙木が北側換気ダクトの開口部から噴き出している煙を現認して、階下での火災発生を覚知した時点において、同被告人は右煙のためにその近くにある更衣室へも行くことができなかつた上、その後ホール入口のアーチを通り抜けてクローク付近まで行つた際には、通常は唯一の安全な避難階段であるB階段近くのエレベーター昇降路付近にも煙が流入する状況にあつたのであり、右「プレイタウン」店内における煙の状況のほか、当時店内には客やホステスらの在店者が多く、特に店内の勝手を知らない多数の酔客もいて、避難に手間取つて、避難階段から逃げ遅れる者もあることが予測できたのであるから、遅くとも、同被告人がクローク付近に赴いた午後一〇時四〇分過ぎころ以降は、B階段への避難誘導を開始するとともに、救助袋を使用しての避難にも配意し、従業員らを指導してその投下作業にも取り掛からせるべきであつたと考えられるので、所論は採用できない。

(二)  更衣室にいたホステスら一一名について結果回避可能性を否定した理由

本件当時、「プレイタウン」の更衣室にいたホステス九名(別表一の番号19ないし25及び別表二の番号7、8)及び衣裳係員、保安係員各一名(別表一の番号17、18)の合計一一名については、被告人桑原、同髙木が前記各注意義務を尽くしていたとしても、右一一名の死傷の結果を回避する可能性はなかつたというべきである。すなわち、さきに認定したとおり、同店の事務所にいた被告人髙木が、本件火災当日の午後一〇時三九分ころ、調理場の従業員らが騒ぐ声や物音を聞いて事務所出入口の扉を開けたところ、事務所前の通路をへだてた正面にある換気ダクトの開口部から噴き出している煙が勢いよく事務所内に流れ込み、その後、同被告人は、右通路を二、三人の従業員について通路西側にある更衣室の方へ向かつたが、通路に煙が充満していて、前を行つていた二、三人が「あかんわ。」「いかれへん。」などといつて引き返して来たので、同被告人も更衣室へ行くことを断念して引き返さざるを得なかつたこと、一方、そのころ更衣室内には福田八代枝らホステス九名と衣裳係の松本ヨシノ及び同店保安係の井内初夫の合計一一名が在室していたが、午後一〇時四〇分ころ、右福田は、調理場の従業員らが前記換気ダクト開口部付近で消火作業をしている声を聞きつけ、更衣室の出入口から出てその方へ行こうとしたが、前記通路から黒い煙が迫つて来たため行くことができず、調理場が火事だと思つて、更衣室西側にあるE階段から避難しようと考え、午後一〇時四二、三分ころ同階段出入口扉の錠をはずして扉を開けたところ、同階段に既に充満していた煙が更衣室に噴き出して来たため同室内は一瞬のうちに煙が充満し、ホステスらは右往左往した末、一か所の窓際へ行つて窓を開け、右福田ら数名が身を乗り出すなどして外気を吸いながら救いを求め、その後、消防隊のはしご車により右福田と岡いつ子の二名が救出されたが、その余の者は、同室等で一酸化炭素中毒により死亡したものであること、以上の事実関係に照らすと、既に、午後一〇時三九分ないし四〇分ころには、前記換気ダクト開口部からの煙のために更衣室へ通じる前記通路の通行が遮断されて、同通路はもはや避難路として使うことができず、それ以外の方法として、事務所西側に隣接する宿直室を通つて更衣室へ行くことも、前記のとおり、被告人髙木が事務所出入口扉を開けた際に勢いよく流れ込んで来た右煙がたちまち事務所内に充満し、その通路を遮断するに至つたものと推認されるところであり(このことは、前記松本、井内の両名が宿直室内で死亡していることからも裏付けられる。)、いずれにしても、同被告人が、階下で火災が発生したことを覚知した時点(午後一〇時三九分過ぎころ)以降、前記更衣室の在室者をB階段や救助袋のあるホールの窓際の方へ避難誘導することは不可能であつたと認められ、右在室者の死傷の結果を回避することはできなかつたものというべきである。

検察官の所論は、被告人髙木は、午後一〇時四四、五分ころまではB階段あるいは救助袋のあるホール窓際への避難誘導は可能であつたと主張する。しかしながら、右所論は、原判決の「当時、更衣室にいたホステス九名及び衣裳係員、保安係員各一名の計一一名については、午後一〇時四四、五分ころE階段へ向かつた一団は換気ダクト開口部から噴き出す煙とその熱気のため、調理場南東角付近から先へは進むことのできない状態であつたのであるから、更衣室、事務室からホールに至る通路は、もはや避難路として使えず、したがつて、右ホステスらを救助袋のある窓際の方に避難誘導することは不可能であつた」旨の判示を前提とするものであるところ、右判示は、その判文からも明らかなように、ボーイの片岡正二郎らの一団がE階段から避難しようと考えて更衣室へ向かつた午後一〇時四四、五分ころの時点における右通路の煙等の状況を根拠にして更衣室在室のホステスらの避難誘導の可能性を論じているのみであつて、右時点以前は右避難誘導が可能であつたとの判断をしているものではない上、前述のとおり、午後一〇時三九分ないし四〇分ころには、更衣室へ通ずる前記通路等はもはや避難路として使用できなかつたこと明らかであるから、所論は採用できない。

五各注意義務の懈怠(過失)と因果関係について

1  被告人中村について

前記三の1(三)(1)(2)に説示のとおり、千日デパートビルの防火管理者である被告人中村は、千日デパート閉店後の同ビルの防火管理対策として右に説示の各措置を履行し、六階以下の階で発生した火災の拡大による煙が営業中の「プレイタウン」店内に多量に侵入するのを防止すべき業務上の注意義務があつたところ、千日デパート閉店後、同ビルの六階以下の階において火災が発生することはあるまいとの考えから、千日デパートの閉店後に防火区画シャッターを閉鎖することを考えたことがなく、したがつて、その閉鎖方法について何ら検討を加えず、また、その実現のための方策を上司に進言することもないままこれを放置し、かつ、本件火災発生当時、千日デパートビル三階で工事を行つていた現場に保安係員を立ち会わせる措置も講ぜず、その必要性について上司に進言したこともなかつたことが、原審で取り調べた関係証拠上明らかである(なお、原判決は、右ビルの閉店時に防火区画シャッターが閉鎖されたことはないこと及び一般にはテナントの行う店内諸工事に保安係員は立会いをしていなかつた旨認定するところ、右認定は関係証拠によつて肯認できる。)から、同被告人に右注意義務を怠つた業務上の過失があつたものといわなければならない。

そして、同被告人の過失により、同ビル三階東寄りの寝具売場付近で本件火災が発生した際に、火災を三階東寄りの一区画(床面積一〇六二平方メートル)だけで防止することができず、同階のほか二階及び四階に拡大延焼させて多量の煙を七階に通ずる換気ダクト、E、F各階段等により「プレイタウン」店内に侵入充満させるに至つたものであり、前記四の1(二)に説示のとおり、被告人中村において右注意義務を尽くしていたならば、被告人髙木らの適切な避難誘導等とあいまつて、「プレイタウン」に在店していた客や従業員一八一名全員が安全に避難し得たものと認められるので、同被告人の右過失と別表一及び二記載の本件被害者一六〇名(死亡一一八名、受傷四二名)全員の死傷の結果との間に因果関係の存することが明らかである。

2  被告人桑原、同髙木について

前記三の冒頭及び三の2に説示のとおり、被告人桑原及び被告人髙木としては、千日デパート閉店後、同ビル六階以下の階で火災が発生した場合には、多量の煙が営業中の「プレイタウン」店内に侵入充満することがあることが十分予測されたのであるから、平素から右三の2(三)(1)(2)に説示の各措置を履行し、階下での火災による煙が同店内に侵入した場合、速やかに従業員をして客らを最も安全な避難路であるB階段へ誘導し、若しくは救助袋等を利用して避難させ、客らの逃げ遅れによる事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたところ、原審及び当審で取り調べた関係証拠によれば、「プレイタウン」では、同店が開業した昭和四二年及び昭和四三年に各二回、昭和四四年から昭和四六年までに年間各一回(そのうち被告人髙木が「プレイタウン」の支配人に就任後のものは昭和四六年七月の一回のみ。)、南消防署の係官の指導の下に「プレイタウン」店内で出火したとの想定で消火、通報、避難を行う訓練が行われたことはあつたが、六階以下の階から出火したことを想定しての避難訓練は、千日デパートビル全体としても、あるいは「プレイタウン」のみでも行われたことは全くなく、救助袋についてはその使用方法の口頭説明すら行われていなかつたものであり、また、被告人髙木は、自己の管理する店から火を出しさえしなければ良いと考え、店内の火元の点検等火災の予防に関する事柄については注意を払つていたものの、実際に同ビルの六階以下の階で火災が発生した場合の対策については、避難計画はもとより何も考えておらず、特に六階以下の階で出火した場合に、その火や煙が「プレイタウン」店内にまで及んで来ることがあり得るなどということについては全く同被告人の念頭になかつたものであり、さらに、同被告人は、一応は通報連絡、消火、避難誘導、工作、救護の各班からなる自衛消防隊を編成して、ホステス、バンドマン及びアルバイトやパートの者を除くその余の従業員のうち三〇名を右各班に配置しており、また一回だけではあるが、前記のとおり、消防訓練を実施してはいるが、自衛消防隊といつても、現実にはその編成表が同店の事務所の壁に貼り出されてあつたのみで、その隊員となつている従業員に対し、その所属する班が果たすべき役割の内容などについては何らの説明もなされていないのであるから、それが、火災の場合に有効に機能し得る体制にあつたとは到底認められないし、また、同被告人が実施した唯一の消防訓練も誠にお座りなりのものであつたことに照らすと、同被告人は、火災が発生した場合の対策を全くとつていなかつたに等しいこと、このことは、被告人桑原についても同様であり、同被告人も、万一火災が発生した場合のことを念頭に置いて、被告人髙木以下の同店の従業員を指導監督したことはなかつたこと、また、前記二の2(五)に説示のとおり、「プレイタウン」では、被告人髙木が同店の支配人に就任した昭和四五年九月一日(防火管理者に選任されたのは翌四六年五月)以降、南消防署係官による立入検査が昭和四五年一二月四日、翌四六年七月六日、同年一二月八日の三回にわたつて行われたが、そのいずれの場合にも、係官から救助袋がねずみにかまれて破損しているので、補修するか取り替えて使用可能な状態にするように口頭及び文書で指示され、被告人髙木は、その都度被告人桑原に対し、消防署からの指示事項を記載した文書を見せて報告していたものの、被告人桑原は、まさか救助袋を使用して避難しなければならないようなことが起こることもあるまいと安易に考えていたことと、費用のかさむようなことはなるべく後回しにしたいとの考慮から、被告人髙木に対しこれらに要する費用を業者に見積りさせる程度のことすら指示せずあいまいな態度に終始し、被告人髙木も、もともと出火した場合の対策については何も考えていなかつた上、被告人桑原の態度がいつもあいまいであつたことから、あえて積極的に救助袋の補修若しくは取替えを進言して、上司の機嫌を損ねたくない気持もあつて、これを破損したまま放置し、しかも、本件火災時まで救助袋を使用しての避難訓練は一度も実施したことはなかつたことが認められるから、被告人桑原、同髙木に前記各注意義務を怠つた業務上の過失があつたものといわなければならない。

そして、右被告人両名の過失により、さきに二の4(三)(四)(五)に認定したとおり、本件火災発生当時「プレイタウン」に在店していた被告人髙木において、午後一〇時三九分過ぎころ北側換気ダクトから噴き出してくる煙を現認して同ビル六階以下の階で火災が発生したことを覚知した時点、若しくは遅くとも午後一〇時四〇分過ぎころアーチとクロークの中間付近に赴き、南側エレベーター昇降路から流入してくる煙もいまだ少量でB階段からの避難の安全を確認し得た時点において、直ちに迅速、かつ、適切な避難誘導等の措置をとらないで、しばらく様子を見ているうちに午後一〇時四二、三分ころ南側エレベーター昇降路から流入してくる煙が急激に増加し始めてから、初めて客らの避難を思い立つたものの、すぐ近くにあるB階段のことが思い浮かばず、南側エレベーターの奥(東側)にあるA階段(一階出入口が防火シャッターで閉鎖されていて外へは出られない。)からの避難を考えて、従業員の本泉にその出入口扉を開けるように指示したり(鍵が見付からないため解錠不能)、B階段への避難誘導の訓練を受けていない従業員らが、クローク付近へ殺到する客らをホールの方へ下がるよう両手を広げて押し止めたり、午後一〇時四四分ころアーチからホール内に流入する煙が次第に量を増し、レジ付近も混乱し始めた段階においても、同被告人は、リスト内の従業員に対し皆に落ち着くよう放送することを指示したのみで、具体的な避難誘導等については何も指示することなく、今度はホール内に出入口のあるF階段(既に、そのころには同階段には煙が上昇充満していた。)から客らを避難させようとして、自らも同階段出入口の鉄扉や防火シャッターを開けようとしているうちに従業員の本泉がスイッチを入れて同階段出入口の電動式防火シャッターを巻き上げたため、同階段に充満していた多量の黒煙が店内に侵入して、煙と一酸化炭素が急速に店内に充満する事態を招くなど、適切な避難誘導等の措置をとることができずに右往左往するのみで、かえつて、店内の事態を悪化させるような措置にも及び、また救助袋が破損しており、かつ、平素救助袋による避難訓練や従業員に対する救助袋についての周知ができていなかつたため同被告人から何の指示もないうちに、午後一〇時四六分ころ従業員の塚本一馬が他の従業員や客らとともに救助袋を投下したものの、砂袋がはずれていたため初めは地上に届かず、ようやく午後一〇時四九分ころ地上で消防隊員らが把持して準備ができたのに、七階では従業員らが救助袋入口の上枠を起こして入口を開ける方法を知らなかつたため、救助袋の周辺に集まつていた者らも袋の中に入つて降下することができずに終わらせるに至るなど、被告人髙木において、客らに対する適切な避難誘導及び救助袋による脱出を不能にさせるに至つたものである。しかして、被告人桑原及び同髙木において、前記注意義務を尽くしていたならば、さきに認定説示したように、更衣室にいた一一名を除くその余の「プレイタウン」に在店していた客や従業員全員が安全に避難し得たものと認められるところ、別表一の死亡者一一八名中、更衣室にいて死亡した番号17ないし25の九名を除く一〇九名の死亡者のうち、番号97ないし118の二二名は救助袋の外側を降下中に転落あるいは七階の窓から飛び下りるなどして地上で受傷して即死し(番号98ないし113、115、116)、あるいはその後に病院で死亡した(番号97、114、117、118)もの、番号4、16、92の三名は店内で胸部若しくは腹部の圧迫により窒息死したもの、番号1ないし3、5ないし15、26ないし91、93ないし96の八四名はいずれも店内で煙に巻かれて一酸化炭素中毒死したものであつて、これら一〇九名の死亡の結果は右被告人両名の過失と因果関係のあることが明らかであり、また、別表二の受傷者四二名中更衣室にいて消防のはしご車により救出された番号7、8の二名を除く四〇名のうち、番号1、2、16、19、21、26、38の七名は、いずれも前記F階段防火シャッターが巻き上げられて多量の煙が店内に侵入し、更に店内の照明が停電した後に救助袋の外側を滑り下りて脱出したもの、番号3、10の二名も右のころ窓からアーケード上に落下し、あるいは飛び下りたもの、番号4、5、6、9、11ないし15、17、18、20、22ないし25、27ないし37、39、41、42の三〇名は、いずれも午後一〇時五四分以降に救出作業の開始された各はしご車により窓から救出されたもの、番号40の一名は、店内停電後便所を経て午後一〇時五〇分か五一分までの間にクロークを通り抜けB階段を下りて自力で脱出したものであつて、これら四〇名は別表二の日時、場所において、受傷名及び受傷程度欄に記載の各傷害を負つたもので、その受傷の結果は右被告人桑原、同髙木両名の過失と因果関係のあることが明らかである。

3  被告人中村と被告人桑原、同髙木の各過失の競合

以上の認定説示から明らかなように、本件被害者一六〇名(死亡者一一八名、受傷者四二名)中、更衣室にいた一一名(死亡者九名、受傷者二名)を除く一四九名(別表一の番号1ないし16、26ないし118の一〇九名の死亡者及び別表二の番号1ないし6、9ないし42の四〇名の受傷者)の死傷の結果については、右被告人中村の過失と被告人桑原、同髙木の過失とが相乗的作用したことによるものであるから、右被告人三名の過失の競合によるものと認めるのが相当であり、また、前記更衣室にいた一一名の死傷の結果については、被告人桑原、同髙木には過失がなく、被告人中村のみの過失によるものと認められるから、過失の競合は否定すべきものである。

六結論

以上論述したとおり、被告人中村については、別表一、二の本件被害者の全員につき、また、被告人桑原、同髙木については、当時更衣室にいた前記の一一名を除くその余の右被害者につき、それぞれ業務上過失致死傷罪が成立することが明らかであるのに、原判決が、被告人らの業務上の各注意義務の存在を肯認しながら、これを怠つた被告人らに対し、本件結果の回避可能性がないとし、あるいは因果関係存在の証明がないとして、被告人らの過失責任をいずれも否定し無罪を言い渡したのは、事実を誤認したものであつて(ただし、被告人桑原、同髙木につき、当時更衣室にいた右一一名に係る分を除く。)、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書に従つて、更に次のとおり判決する。

第二自判

(罪となるべき事実)

被告人中村稔は、物品の販売及び建物の賃貸借業等を営む日本ドリーム観光株式会社の千日デパート管理部管理課長として、同社が直営し、あるいは賃貸して営業している大阪市南区難波新地三番町一番地所在の千日デパートビル(鉄骨鉄筋コンクリート造り、地下一階、地上七階、塔屋三階建、床面積合計二六、二二七・〇〇六平方メートル)について、その維持・管理を統括する同管理部次長宮田聞五を補佐するとともに消防法令に基づく防火管理者として同ビル関係の防火上必要な構造及び設備の維持・管理等を行うなどの業務に従事していたもの、被告人桑原二郎は、同ビル七階(床面積一、七八〇平方メートル)を、右日本ドリーム観光株式会社から賃借して風俗営業キャバレー「プレイタウン」を営む千土地観光株式会社の代表取締役として、右「プレイタウン」の経営・管理を統括し、消防法令に基づく防火管理者その他部下従業員を指揮監督して、消防計画の作成、当該消防計画による通報及び避難訓練の実施、避難上必要な設備の維持・管理等を行うなどの業務に従事していたもの、被告人髙木眞彦は、「プレイタウン」の支配人として、被告人桑原を補佐するとともに、防火管理者として、前同様の消防計画及び避難訓練の実施等に関する業務に従事していたものであるところ、昭和四七年五月一三日午後一〇時二五分ころ、同ビル三階(床面積三、六六五平方メートル)の大半を日本ドリーム観光株式会社から賃借使用している株式会社ニチイ千日前店の衣料品・寝具等売場において、株式会社大村電機商会の作業員ら六名が右ニチイから請け負つた電気配線増設工事を行つていた際東寄りの寝具売場付近から出火し、同階並びに二階(床面積三、七一三・六〇五平方メートル)及び四階(床面積三、五二〇平方メートル)をほぼ全焼するに至つたのであるが、

第一  被告人中村及び宮田としては、同ビルが、前記のように直営のあるいは賃貸の店舗で雑多に構成されており、三階も右ニチイのほか株式会社マルハン等四店舗が雑居するいわゆる複合ビルで、六階以下の各売場は午後九時に閉店し、その後は各売場の責任者等は全く不在であり、七階の前記「プレイタウン」だけが午後一一時まで営業しているという特異な状況にあり、しかも、火災の拡大を防止するため、六階以下の各階売場には、建築基準法令に基づき、床面積一、五〇〇平方メートル以内ごとに防火区画シャッターが、それぞれ設置されていたのであるから、平素から右シャッターを点検・整備した上、六階以下各売場の閉店時には、保安係員らをして、少なくとも、一階ないし四階のこれらシャッター(ただし、三階北側に設置の自動降下式のものを除く。)を完全に閉鎖させ、閉店後前記のように工事等を行わせるような場合でも、工事に最少限必要な部分のシャッターだけを開けさせ、保安係員を立ち会わせるなどして、なんどき火災が発生しても、直ちにこれを閉鎖できる措置を講じ、もつて、火災の拡大による煙が営業中の「プレイタウン」店内に多量に侵入するのを未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、いずれもこれを怠り、右シャッターの点検・整備を行わず、かつ、同シャッターを全く閉鎖せず、前記工事に際しても保安係員を立ち会わせることなく漫然これを放置した過失により、火災を三階東寄り売場の一区画(床面積一、〇六二平方メートル)だけで防止することができず、前記のように拡大させて多量の煙をビル七階に通ずる換気ダクト、らせん階段等により、「プレイタウン」店内に侵入充満させ、

第二  被告人桑原及び同髙木の両名としては、前記のように、閉店後の六階以下で火災が発生した場合、多量の煙が営業中の「プレイタウン」店内に侵入充満することが十分予測されたのであるから、平素から救助袋の維持管理に努め、従業員を指揮して客等に対する避難誘導訓練を実施し、煙が侵入した場合、速やかに従業員をして客等を避難階段に誘導し、もしくは、救助袋を利用して避難させ、もつて客等の逃げ遅れによる事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、いずれもこれを怠り、右階段等の状況を把握することなく、また備付けの救助袋(一個)が一部破損し、その使用が困難な状況にあつたのに、新品と取り替え、あるいは修理することなく、漫然これを放置し、避難誘導訓練をしなかつた過失により、前記煙が店内に侵入した際、客等に対する適切な避難誘導及び救助袋による脱出を不能にさせ、

もつて、被告人らの前記各過失の競合により、「プレイタウン」店内で遊興中の客及び従業員のうち、別表一の番号1ないし16及び26ないし118のとおり栗村益美(当時二六年)ほか一〇八名を一酸化炭素中毒等により死亡させ、さらに、別表二の番号1ないし6及び9ないし42のとおり佐藤千代(当時三四年)ほか三九名に対し、一酸化炭素中毒等の傷害を負わせ、また、被告人中村の過失により、別表一の番号17ないし25のとおり松本ヨシノほか八名を一酸化炭素中毒等により死亡させ、さらに、別表二の番号7、8のとおり福田八代枝ほか一名に対し、一酸化炭素中毒等の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人中村の判示第一の所為及び被告人桑原、同髙木の判示第二の各所為は、各被害者ごとに、いずれも行為時においては刑法二一一条前段、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては刑法二一一条前段、右改正後の罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、右はそれぞれ犯罪後の法令により刑の変更があつたときに当たるから刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、右三名の各所為はいずれも一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条によりそれぞれ一罪として犯情の最も重い別表一番号1の栗村益美に対する各業務上過失致死罪の刑で処断することとし、各所定刑中いずれも禁錮刑を選択し、それぞれその所定刑期の範囲内で、被告人中村を禁錮二年六月に、被告人桑原、同髙木をいずれも禁錮一年六月に各処し、後記「量刑の理由」欄記載の情状によりそれぞれ同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から、被告人中村に対し三年間、被告人桑原、同髙木に対し二年間、いずれもその刑の執行を猶予し、刑事訴訟法一八一条一項本文により、原審及び当審における訴訟費用中、原審証人岡いつ子、同福田八代枝に支給した分はこれを被告人中村に負担させ、その余の訴訟費用はその三分の一ずつを各被告人の負担とする。

(一部無罪の理由)

被告桑原、同髙木に対する本件公訴事実中、別表一の番号17ないし25及び別表二の番号7、8の一一名(本件火災当時、「プレイタウン」の更衣室にいた者)については、前記のとおり、右被告人両名がそれぞれその注意義務を尽くしていたとしても、各人の死傷の結果を回避することはできなかつたものと認められるから、右一一名に係る業務上過失致死傷の点は犯罪の証明がないというべきであるが、右一一名とその余の有罪となつた本件各被害者に対する右被告人両名の所為は、科刑上一罪(観念的競合)の関係にあるものとして公訴を提起されたこと明らかであるので、主文において、その無罪の言渡しをしなかつたものである。

(量刑の理由)

本件千日デパートビル火災による死亡者は一一八名、負傷者は四二名もの多数にのぼり、(ただし、そのうち死亡者九名、負傷者二名については、被告人桑原、同髙木に責任はない。)ビル火災事故としてまれに見る大惨事というべきであるところ、その出火原因は証拠上確定できず不明であるが、このように多数の死傷者を出すに至つた原因は、防火管理の業務に携わる被告人らにおいて、複合ビルの最上階で遊ぶ多数の客や従業員らの生命、身体の安全を確保するという最も重要で基本的な心構えに欠けていたところから、右業務上遵守すべき基本的な注意義務を果たさなかつたことによるものであり、殊に、被告人中村について

は、大阪市消防局の係官から、他の百貨店での火災の教訓に照らして千日デパートの閉店時に売場内の防火区画シャッターを閉鎖するように指導を受け、また、被告人桑原、同髙木についても、所轄消防署の係官から破損した救助袋の補修若しくは取替えを再三にわたつて指示されていたにもかかわらず、火災が発生することはあるまいとの安易な考えから、それぞれ右指導、指示を軽視して前記注意義務の履行を怠り、かかる重大な結果を招いたものであつて、被告人らの過失は重いものがあるといわなければならない。加えるに、本件火災時における「プレイタウン」店内の状況は、さきに詳しく認定したように、遊興中の客やホステスら従業員は、被告人髙木らの適切な避難誘導もなく、階下から流入する猛煙に追われて避難路を見いだせないまま同店内を逃げまどい、ある者は七階の窓からの飛降りを余儀なくされ、また、ある者は使用方法についての指示もなく帯状に垂れ下がつた救助袋をつたつて脱出を図つたが、摩擦熱のため手を離すなどして転落し、その余の大部分の者は、B階段から自力脱出した者及びはしご車で救助された者を除いて、同店内に充満した一酸化炭素を吸引して死亡するに至つたものであつて、被害者らには客はもちろんのこと従業員にも特段の落度はない上、その被害状況は極めて悲惨であり、死亡した被害者の無念さはもとよりのこと、受傷者の中には相当の重傷の者もあり、死亡した被害者の遺族や受傷した被害者等の被害感情も、原審公判廷での数人の遺族の証言をまつまでもなく厳しいものがあること、さらに、本件火災が社会に与えた衝撃は極めて大きいものがあることなどの諸点に照らすと、被告人らの刑責は誠に重いというほかはない。

しかしながら、他方、本件火災がこのように重大な結果に至つた原因として、被告人らの過失以外に、同ビル三階での本件火災発生を知つた宿直保安係員のだれもが、千日デパートと「プレイタウン」間の共同防火管理体制が整つていなかつたこともあつて、火災発生及びその状況等を「プレイタウン」に通報しなかつたために、被告人髙木らにおいて早期に適切な避難誘導をなし得なかつた面があること、また、「プレイタウン」専用の南側エレベーター昇降路の壁の一部に同デパート開業時の手抜工事によると思われる隠れたすき間があつたために、これが右昇降路からの煙の侵入路となつたほか、北側換気ダクト内に設置された三か所の防火ダンパーが同様に欠陥工事により作動しなかつたため、煙が同ダクト内を上昇して七階の開口部から「プレイタウン」店内に流入したことを指摘することができ、これらの点について、被告人三名に特段責められるべき点はないこと、日本ドリーム観光、千土地観光等と本件死亡被害者の遺族及び傷害被害者との間に示談がほぼ成立し、損害金の支払も終わっていること、被告人三名はいずれも前科前歴がなく、これまでまじめな社会生活を送つて来た者であること、さらに、被告人中村について、当時、売場内の防火区画シャッターの閉鎖を命ずる直接の法令上の根拠がなく、消防当局も、本件より約一年前の市内百貨店の夜間一斉査察のころまでは千日デパートに対して右閉鎖を指導したことはなく、同査察の際の指導も口頭でなされただけで、店長らに対する文書による指示はなされていないこと、多数の手動巻上げ式シャッターを毎日少数の保安係員に開閉させるについては労務対策等の問題が生ずることは避けられない上、これを電動巻上げ式のものに取り替えるについては相当な出費を要するところ、社内的に厳しい経費支出規制がなされていたなどの事情もあり、右シャッター閉鎖義務不履行の責任を防火管理者とはいえ一課長にすぎない同被告人にすべて負わせることは、酷に過ぎる嫌いがあること、被告人桑原、同髙木について、「プレイタウン」の北側換気ダクト開口部及び南側エレベーター昇降路の二方向から噴き出す煙が、被告人髙木らをして客等に対する適切な避難誘導を困難にした一面があり、この点は右被告人両名の過失責任を左右するものではないが、量刑上は考慮すべきであること、被告人髙木が防火管理者に選任されてから一回だけ行つた消防訓練(階下での出火を想定したものでない)の際消防署の係官から、階下で出火した場合にはB階段へ避難するようにとの指導は特になされなかつたこと、被告人桑原は「プレイタウン」を経営する千土地観光の代表取締役であつたが、実質上の経営権を有しておらず、同会社は親会社の日本ドリーム観光から経費支出等につき厳しく規制されていたことなど、被告人三名についていずれも酌量すべき点があり、以上の諸般の情状を総合勘案すると、被告人三名の責任は重大であるが、それぞれにつき刑の執行を猶予するのが相当である。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官尾鼻輝次 裁判官森下康弘 裁判官近藤道夫は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官尾鼻輝次)

別紙

別表一 死亡者一覧表 〈省略〉

二 受像者一覧表 〈省略〉

図面一~九、一二~一三 〈省略〉

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